一般国道113号
明沢トンネル旧道
第6部
2022年4月17日 探索 2022年6月9日 公開
旧明沢橋の姿
間違って踏み抜きなどしないように慎重に進んで、目的とする明沢橋は目の前のはず。前方に見える平らなところが橋上の路面だろうか。だが、ここに来て手強そうな灌木と笹のヤブが私の行く手を阻む。このまま正面突破でヤブを掻き分けて行ってもいいが・・・
さて、橋の上に出るにはどこを通ればいいか周辺を見回すと、右側から回り込んで橋の正面に行けそうな空間があった。早速草を掻き分けて迂回していくと…
おおっ!明沢橋だっ!
ようやく橋の正面に到着だ。ここまでいろいろあったが、ようやく到達することが出来た。目の前の灌木が邪魔だが、今は雪がない時季で葉っぱがないのでおおよそではあるが橋の姿は掴むことが出来る。こういった旧橋にありがちなこととして、残念ながら親柱や高欄は見当たらないが、その姿は美しいコンクリートアーチ橋のようだ。もう少し近づいて撮影してみよう。
おお~、これは素晴らしい。橋のたもとに立てば、ただののっぺりとした橋に見えるが、横から覗き込んで見てみるとどうだ。やはり、コンクリートのアーチが美しい橋ではないか。ここはぜひ接近して側面から眺めてみたいものだが、明沢川が深く切れ込んだ谷のようになっていて、ロープで降下しないと降りれそうにない。
だが、こんな時に限ってロープを持ってきておらず、降りたとしても足場がなさそうだ。
ここは、少し離れて考えてみることにして、まずは橋の近くまで行ってみよう。
右側の灌木が邪魔だが、何はともあれようやく橋の袂に立つことができた。地形図で発見し、現地に下見に来るも様々な理由(時間が不足していた、装備不十分など)で探索できずを幾度か繰り返して、今ここに立っている。今日はこれからいくつか別の場所の探索が控えていて、あまり時間的な余裕はないが、せっかくのメインディッシュを楽しまない手はない。それでは、いただきます(笑)。
橋の中ほどまでやってきて、この橋が渡ろうとしている明沢川を眺めてみる。雪解け水とたくさん含んで、山の栄養素を海に送っている明沢川の流れは速く、川底の少しの突起でも水面に白波がたつほどだが、その水は透き通っていて、今日の空の青さを反射して青く、美しい。左側の雪原に降り立てば、この橋を横から見れるんじゃないかと思ったが、その前に溶け切っていない雪が多く、地形がどうなっているかわからない。
踏み抜いて埋もれてしまう可能性もあるので、やめておこう。こんなところで冷蔵されるのはごめんだ。
振り返って、今度は現道の明沢橋が架かっている方向を眺めてみる…と、ここで思いついた。そうだ、現道の明沢橋から眺めればいいではないか!。この後、探索ルートとしては現道の明沢橋を通って、ベースとしている明沢トンネル脇の広場まで一旦戻る予定だ。その時にこの旧明沢橋を横上方から眺めてみることにしよう。
これまで来た方向を振り返ってみる。私はここまで、左側中央に見える雪原と、少しの笹のヤブの中を通ってきたというわけだ。こうして見ると、この旧道も橋に至るまで実に面白い道形をしている。この道は宇津峠から綱取橋までの間にあるので、おそらくはここも三島通庸が拓かせた道だろう(詳しくは一般国道113号旧道綱取橋旧橋第3部を参照)。そうすると、この区間が開通したのは宇津峠が開通した1881年(明治14年)から、綱取橋付近が開通した1883年(明治16年)までの間と思われる。
何が面白い道形かと言うと、橋の前後が急カーブになっているのだ。それもほとんど直角に近い。こういった道形はこの明沢橋に限らず、ここから小国方向に向かった先にある旧栗松沢橋や旧々栗松沢橋、綱取橋の前後でも見られる。
おそらくは川幅が一番狭くて架橋しやすい地点を選んで橋を架けていたために、こういった道形になったのだろうが、今ではこんな道形だとすぐに局改の対象になることうけあいだ。まぁ昔は車の速度もそんなに速くなくて、これでも大丈夫だったのだろうが…。
明沢川を渡って、何とか橋の側面が撮影できる場所を探して撮影してみた。この橋も木附橋と同じく、本来の橋上の路面に土が被り高覧の高さまで埋まってしまっている、このために親柱も崩れてしまい、今のように真っ平になってしまったと思われた。だが、その下のアーチは今も健在で、美しい姿を見せてくれている。こうなると、早く横から見てみたいと気持ちが先行するようになった。
この先、旧道は続くが途中で米坂線を越えねばならず、おまけにこの積雪なので、そこへ向かう道が不明瞭になっていることが考えられた。手元の地図を見ると、旧道はこの先で山側へ向かう道を一本分岐していて、その道が途中で113号と交差しているのだが、その交差する地点が現道の明沢橋の袂のようだ。まずはそこへ向かうことにしよう!。