一般国道113号
明沢トンネル旧道
第10部

2022年4月17日 探索 2022年6月25日 公開

現道から旧明沢橋を眺めたあと、明沢トンネルの脇に停めたベースとしている車に戻り、水分補給したり、少し休んだりして態勢を整えてから車を移動させた。次にやってきたのは栗松トンネルの小国町側坑門である。このように、これ見よがしに分岐している砂利道があり、一見するとJRの保線用道路のように見えるが、実はそうではない。

実はこれが明沢トンネルから続く旧道の、もう片方の分岐点なのである。この旧道は明沢トンネルの旧道だけでなく、栗松トンネルの旧道でもあるのだ。私はその砂利道のところに車を停め、これからの探索のベースとした。右に見える線路はJR米坂線。そう、旧道はここで一旦米坂線を踏切で越え、あくまでも忠実に川に沿って明沢集落を目指していた。従って、この先には踏切があるはずなのだが…ここから見える景色には踏切らしきものは見当たらない。
ひとまず、この先へ進んでみよう。

右側に見えるガードレールは、たぶん現道時代からの物ではないだろう。新しすぎる気がする。路面にところどころ雪が残っているものの、歩くのに難儀するほどではなく、雪が残っていないところを選んで進めば問題ない。この路面は未舗装で、一見すると砂利で固められているように見えるが、それは砂利が浮いてるだけで、実際にはこの道はアスファルト舗装が残っていた。

米坂線との接続部までやってきた。遠くから見た通りここには踏切はなく、車輪で磨かれて光を放つレールが二本、等間隔で敷かれている。対岸に視線をやると、杭と針金らしきもので簡素なバリケードがある箇所があり、おそらくはそれが元の踏切の跡だろう。すなわち、旧道はここで米坂線を斜めの踏切で越えていた、と言うことになる。廃止されたのが何十年も前のはずなのに、ここには今でも国道が渡っていた痕跡があるのだ。この方向で線路を眺めていると、なんだか向こうから黒い煙を吐きながら蒸気機関車が走ってくる、踏切があったころの風景が見える気がして楽しい。

明沢川に沿って走る線路を眺めてみる。小国側からやってきた列車はこのカーブを通過していく訳だが、列車がここを通過するところを想像してみると、なかなかいい画像になりそうだ。もしかするとここは、撮影スポットの一つかもしれないが、私の目的は旧道探索なので、こうして目の前に線路が横たわっていると、先へ進めなくて困ってしまう。さて、どうしたものか。

今度は右側を眺めてみる。確か、明沢集落にはJR明沢駅がなかったか。とすると、私はその明沢駅側を眺めている。本来、米坂線自体が頻繁に列車が走っている路線ではないので、列車が通ってないときの線路は、こうして静寂だけが訪れている一種独特の雰囲気になるのだ。おまけにどういう訳か、線路があるところには小鳥の囀りはほとんど聞こえない。

それにしても困った。目の前に旧道があるのに、そこに行けないと言うもどかしさ。おまけにここからだと旧道のアスファルトの路面が見えている。
間違いない、あれが旧道だ。などと思っていたら…

…何か不思議な力が働いたようだ。気が付くと反対側に来ていた。
来てしまったものは仕方ない。このまま探索を続けることにして旧道と思われる場所に立ってみると、アスファルトで舗装された路面が今もまだ健在で、いかにも「旧道です」と言う雰囲気を醸し出している。しかもありがたいことに下草もあまり侵食してきてないものだから、ここが旧道と知らなければ、ただの道と思える快適さだ(ただ、この先はどうなっているかわからないけどね)。

ますますいい感じの道が続く。道幅は一車線くらいだろうか。決して広くはないこの道幅は、増え続ける交通量に対して完全にキャパシティ不足だったはずで、場合によって交通集中なんかが発生すると簡単にキャパオーバーとなり、渋滞が発生していたかもしれない。だが、今は路肩に適度な笹が茂り、のんびりと散歩でもしたくなる道になっている。

でも、多くの場合において「このままいくはずがない」のは、私もよく知っている。
それが旧道であり廃道だ(笑)。
そして、この道もやはりご多分に漏れないことは、経験と何となくの直感で気づいていた。
どんな道が待ち受けているのか。年甲斐もなく、何となくウキウキしながら歩きだす。

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