一般国道113号
明沢トンネル旧道

2022年4月17日 探索 2022年5月16日 公開

このサイトでは何度も登場してきている国道113号。今回は旧栗松沢橋・旧々栗松沢橋の先にある明沢トンネルの旧道をレポートしよう。
え?。また国道113号かって?。そう言われるかもしれないけど、この道はホントに多いんだって。このテの旧道が。

この国道の原型を作ったのは、かの土木県令、三島通庸(みしまみちつね)。三島が東京と東北諸県を結ぶ萬世大路(ばんせいたいろ)の一部である山形福島間の建設計画の告示を出したのが1876年(明治9年)。峻険で積雪時に通行が困難な、新潟へ向かう小国新道(小国街道)を開鑿するべく着工したのが1881年(明治14年)10月。この新道は宇津峠、舟形橋 (山形県)を改良・整備し、途中にある綱取片洞門・子々見片洞門・旧綱取橋の竣功(1883年(明治16年))を経て、1886年(明治18年)に全区間の竣功を迎える。

この後、この小国新道・荒川新道はいくつもの局所改良や羽越水害の復旧工事を経て、現在の道形が出来上がる。この二つの新道を造った功績は偉大なものだと思うが、しかし忘れてはいけない。この道の大元の姿を造ったのは三島なのだ。その道筋が険しかったために、後世になり多くの箇所が改良を受けることになり、そのおかげで旧道が多く存在する(もちろん、原因はそれだけではないのだが)。そしてそのために、私のような旧道探索者の目標になっている道が数多くあるのだ。それでは、ここで地図を見てみよう。お馴染みの地理院地図である。

国土地理院の電子地形図(タイル)を掲載

地図中、上が小国町側、下が飯豊町側となる。中央にある明沢トンネルを迂回する点線の道が目に入ると思うが、この点線の道が明沢トンネルの旧道だ。
この旧道の探索には、実は単なる「旧道の探索」と言う目的だけではなくて「旧橋の探索」と言う目的もあった。地図中、明沢トンネルの小国町側に明沢橋があるが、その左側にある旧道に小さい橋が架かっているのが見えるだろうか。旧道探索と同時に、まずはこの橋を目指すのが、今回の大きな目的の一つだった。

もう一つは橋を渡ったその先、旧道はどうやって現道に合流するか。これである。旧道は前述のように橋を渡った後で道を一本右に分岐するが、本来の旧道はそこからすぐ先で途切れてしまっている方だと事前調査で最初からわかっていた。問題はその先だ。道の痕跡が残っていない以上、廃道になっていることは明らかだが・・・。

今回の探索に象徴される明沢川の印象的な風景がこれだ。前方に見える山々と、雪解水を日本海に注ぐべく、荒川目指して流れる明沢川。この川はどこをとっても非常に美しい渓谷美を見せてくれる。そして、この旧道はまさしくこの明沢川の際を通っているのだ。
そりゃ路盤流失や路肩崩落、土砂崩れや雪崩が起きても不思議ではないわな・・・と言う気がする。

今回のスタート地点は、明沢トンネルの飯豊町側坑門のすぐ脇にある広場だ。この後の探索も考えて、ここをスタート地点とした。車を停めて「さて」と坑門の方を向くと、実にわかりやすく旧道が分岐している。それはまるで「ここだよ、ここ。オレが旧道。こっちに来いよ」とでも言わんばかりの、いい分岐のしかたじゃないか。しかも、その道にはバリケードもない。と言うことは、この旧道は今でも立派に通行があると言う証拠でもある。

この時は愛車に自転車を積載してきていたが、自転車の出番はこの後。この探索は徒歩で行うことを決め(もとより路面の積雪が深くて自転車が役に立たない)、ヘルメット、皮手袋、長靴、ウエストバッグを装備、カメラは例によってD300をチョイス。
クマ鈴にラジオを鳴らしながら、準備が出来た。いよいよ旧道に突っ込む。

頭の中にはなぜか「Electric Light Orchestra」の「Twilight」が流れている。 こう書くとわかりにくいかもしれないが、テレビドラマの「電車男」のテーマと言ったらおわかり頂けるだろうか。出演されていた六角精児さんが主人公の伊藤淳史さんのことを呼ぶ「電車!」の声が、なぜか頭に響く。

私にとっては初めての雪の中の探索。緊張感はMAXなのだが、それがなぜか心地いい。それでは・・・!

探索開始!

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