一般国道113号
旧栗松沢橋

旧旧栗松沢橋

2019年11月3日 探索 2019年11月12日 公開

栗松沢橋。この名前を聞いて、「ああ、あそこか」と思われる人は少ないだろう。
実は私もつい先日まではこの名前を知ることはなく、仮に耳にしたとしても「どこ?それ」と言う感じだったのだ。

この橋の発見のきっかけは、本当に偶然だった。
2019年の11月3日。紅葉狩りで山形県小国町を訪れていた私は、綱取橋や子子見片洞門、弁当沢トンネル旧道で紅葉を満喫した後、宇津トンネルに向かった。そこでもトンネル付近の秋の風景、紅葉の宇津トンネル、宇津大明神などををひとしきり撮影して帰路についたのだが、その途中で偶然この橋を発見したのだった。

国土地理院の電子地形図(タイル)に注釈を追記して掲載

その場所は、新宇津トンネルから小国町へ向かって走ってくると、弁当沢トンネルの手前で弁当沢橋を渡るが、その手前にある栗松沢橋の山側。私は発見した瞬間に(もちろん、周囲やバックミラーをちゃんと確認した上で)ブレーキを踏んで車を減速したのは言うまでもない。


今は風景の中にしっかり溶け込んでいるが、ほんの一瞬だけその存在を私に教えてくれたその橋に到達するためには、まず橋のたもとに繋がっている林道に入らなくてはならない。幸いにこの林道は現道の113号から分岐しているので、私はそこに少し進入して車を止めて橋に向かうことにした。車が林道に入っても、そこから長くは走るわけではなく、そこ数メートルで橋のたもとに行き着く。私はすぐに車を止めて、その橋の方向へカメラを携えて歩いて行った。逸る気持ちを抑えながら。

森に潜む橋

これは、その向かった先の画像である。一見するとなんの変哲もない広場に見えるのだが、左右に白い立方体のように見える部分があるのにお気づきだろうか。これは橋の親柱であり、それからすると、この橋は結構な道幅の道に架けられたことがわかる。その道幅は、優に車2.5台分はあるだろうか。やはりこの橋は国道113号の元で架けられた橋と思われる。まずはこの橋の名称から調べることにしよう。親柱を確認してみる。

これは左親柱。草の影になって読みにくいし、こんな銘板は初めて目にするが、材質は鉄板だろうか。それらしき板に「栗松沢」と彫り込んであって、そこに黒の塗料を流し込む形で書いてある。親柱の材質は粗い石を使用した粗石コンクリートである。さて、この橋の竣功はいつだろう?。それも、この橋の4本の親柱が残っていれば、自ずと判明するだろう。次は、右親柱を確認してみる。

栗松沢橋。これがこの橋の正式名称らしい。この地点より外側の現道に架かっている橋の名称も「栗松沢橋」ではなかったか。そうすると、この橋はやはり国道113号の旧道であるようだ。ちなみにその現道の橋は、上の画像の右上の隅にちゃっかりと写り込んでいる。これが現道の「栗松沢橋」である。橋の銘板は錆びてはいるものの、その程度は左親柱と比較して軽く、今でも十分に文字を読むことが出来る。そこからすると、この橋はそんなに古くない印象受けたのだが、どうか。

橋を渡って反対側にも親柱があるかを確認すると、嬉しいことにはこちら側も2本残っている。まずは左親柱を確認してみると、そこにはこの橋の竣功年月日が記されていた。「昭和四十三年六月三十日」とある。なるほど、やはりそんなに古い橋ではなかったようだ。ところで、昭和43年と言うと1968年。この年は小笠原諸島が日本に復帰した年で、これが6月26日のことなので、そこからさほど開きはなく、この橋が竣功を迎えたことになる。最近のように思えるが、実は50年を過ぎていたりして、少しびっくりした。続いて右親柱は…

ひらがなで「くりまつざわばし」とある。このように4本とも親柱が残っていると、そこから竣功年月日や橋の名前がわかったりして、調査する上で非常に助かる。だが、中にはこの親柱が風化やその他の要因で崩れたり、なくなっていたりするものも当然あるので、この栗松沢橋のように道としての用途を終えた橋の親柱が残っていることは、結構珍しいと言えることかもしれない。

もう一度、橋を眺めてみる。一見すると、ここに橋があるとは思えず、親柱が目立ってくれていたからわかったようなものだ。おそらくだが、この橋を通ると道路の線形が急カーブになったりするので、現道の栗松沢橋が架けられたのだろう。あとは現道の栗松沢橋の竣功年月日を見れば、この区間がいつ切り替わったのかがわかる。このように簡単な感じで調査を終えて、さて帰路につこうかとして何気なく栗松沢の山側を見ると…

紅葉に包まれた美しい橋

なんだあれは?!

いきなり、こんな風景が目に飛び込んできた。下を流れる沢が栗松沢だ。なかなか風光明媚な沢だが、その沢にもう一本、欄干がほとんど崩れそうだが、橋が残っているじゃないか!。しかも橋の雰囲気からすると、あの橋はかなり古い橋とみた。もしかすると、辯當澤橋と同じ時代に架けられた橋なのかもしれない。これを放っておくわけにはいかず、さっそく探索を開始した!。

まずはズームで撮影して確認してみる。欄干は崩れそうだが、橋桁や橋台はまだまだしっかりしてそうだ。あれなら上に乗ってもおそらくは大丈夫だろう。問題はどうやってあの場所まで接近するかだが、ここから右に進んで山沿いの旧道を行くコースは非常にヤブが深く、ヤブ漕ぎしないとたどり着けそうもない。それに対し左に進んで林道から接近するコースは、林道を通るだけあって足場もよく、楽にたどり着けそうだ。ということで、林道経由の楽なコースを辿ることにした。では、接近開始!。

接近する途中で撮影した。これからヤブの中に入ろうとするところである。橋の手前に地面が見えるところがあるが、そこを辿っていけば楽にたどり着けそうだ。今日はこの前に片洞門や綱取橋に行っているので、足元はトレッキングシューズを履いているので安心だ。ここから目の前に見える、橋の手前にある路面を守る擁壁がいまだにしっかりしていて素晴らしい。

いよいよ橋の上にやってきた。この橋は先ほどの旧橋と比較すると幅が狭く、辯當澤橋よりも狭いような気がする。橋の上には木がスクスクと育っており、その太さは結構な大きさだ。路面には大量の落ち葉が積もって土になり、欄干や親柱は朽ちて下を流れる栗松沢に落ちたのかもしれず、この橋を車や人が通行しなくなってからかなりの年月が過ぎていることを伺わせる。やはり、何らかの通行があって管理されているということは大事なのだ。


(作者注…この旧旧栗松沢橋に関して、ヨッキれん氏のWEB「山さ行がねが」に往年の旧旧栗松沢橋の記述があり、竣功年月日が判明しました!。1930年(昭和五年)八月です!)


栗松沢橋の旧旧橋と旧橋のツーショットを撮影してみた。手前が旧旧橋の欄干、奥に見える橋が旧橋である。こうして見ると二つの橋は結構離れており、先ほどの旧橋の時に道路の線形がきつくて=急カーブで線形変更になったのではないかと書いたが、この旧旧橋の線形はそれ以上に急な線形だったようだ。栗松沢橋に対して架けられている橋の角度が、かなり違うことにお気づきだろうか。この橋の架橋角度だと、橋の前後の道の取り付け角度は直角に近い形の急カーブになっていたかもしれない。それでは、日々増大する交通量に耐えられなかっただろう。ここで、地図で確認してみよう。

昭和十八年三月三十日発行 五万分の一地形図
手ノ子を使用したものである。

地図には記載されていないが、旧旧栗松沢橋はここに架かっていたことと思う。橋の意匠が辯當澤橋と似ているし、雰囲気も道幅も似ている。もしかするとこの橋、辯當澤橋のように立派な親柱をしていたのかもしれない。そう考えると、周囲の景色も相まってさぞ美しい道だっただろう。それにしても、思った通り橋の前後は結構な急カーブになっていた。特に私が立っている方は急カーブどころじゃない、ヘアピンカーブである。これじゃ架け替えなくてはならないだろう。

路面を守る路肩の擁壁に近づいて撮影してみた。この角度だと、旧道がどのようにこの橋に進入していたのかがよくわかると思う。旧道は、今は森になっている画面中央部奥からこの橋に向かって進んできて、左カーブでこの橋に進入していた。おそらくだが、旧道はこの栗松沢に沿うような形で進んでいたのだと思う。とすると、この付近も沢沿いで新緑や紅葉の季節には風光明媚な場所だっただろう。現役だったころの風景が見えるかのようだ。

ひとしきり旧旧栗松沢橋を楽しんだ後、旧栗松沢橋から撮影した1枚。栗松沢と橋の様子が美しい。ここをどのような人たちや車(当然と言うべきか、馬車牛車も)が通ったのか。きっと、今よりももっと美しかったのではないか。
その景色を想像しながら、この橋を後にした。

一般国道113号
旧栗松沢橋・旧旧栗松沢橋

完結。