一般国道113号
明沢トンネル旧道
第13部(完結編)

2022年4月17日 探索 2022年7月7日 公開

前回の最後、未知なるフォースを期待して先へ進む私だ(笑)。
先ほどの休憩で、ルイボスティーで一息入れてリラックスすると、雪の中を進んできて疲れた足が生き返るようだった。地図を見ると、ここから踏切があるだろうと思しき場所はもうすぐのはずだが・・・今回もフォースが働くだろうか。でも、心の中で「持ってもいないフォースに頼るなっ!」とツッコミを入れる自分もいたりして、なかなか葛藤が続く私だ(笑)。

林の中をまっすぐ進んでいた道が、この先から若干左カーブで上がっている。その先にあるのはたぶん踏切だろうか。道の跡はハッキリしていて迷うことはないが、それはこの時季だからだろう。これがもし夏だったら、下草が深くて大変だったかもしれない。でも、雪に覆われた路面じゃなくて、生の路面を見てみたい気もする。うーん、やはりこの道は再訪しないといけないなぁ。

などと、いろいろ思いつつ歩いていると(正確には足元の雪と格闘しているのだが)、やってきました踏切跡。どうやらここで再度米坂線を渡り、目の前の斜面の脇を通り、あの雪原に向かっていると思われる。また、斜面をよく見ると杉の木を切った跡があることから、そこまでは車が入ってきているはずだ。と言うことは、あの雪原も雪が消えてしまえばここに来る道が残っているはずで、ここはやはり再訪せねばなるまい。

・・・ま、今回は明沢橋の旧橋を表舞台に導くことだったから、一応目的は達成した・・・かなぁ。
渡れない米坂線の線路を見ながら、ふと思った私だ。残念ながら今回は不思議なフォースは働かなかったが、ひとまず目的は達成した。さて、戻ろう。

もう一度振り返って、行けない前方を(恨めしそうに w)眺めてみる。電柱に電線が張られていて、その脇には切られた杉の木の切り株がいくつも見える。と言うことはたぶん、旧道はあの電柱の脇を通って先へ走っているな・・・。そうすると、先に見える木々は旧道脇に植えられたものか。
想像は膨らむが、今はあくまでも想像の域を越えない。やはりここは再訪することにしよう。

三島の道

同じ道でも行きと帰りに見る景色は違うもので、この景色もそうだ。これは上り坂の左カーブで踏切跡に進入する直前の場所で、画像で言うと三枚前の画像だが、それを反対方向から見るとこんな景色が広がっていた。

宇津峠から片洞門までの区間は小国町史によると1881年(明治14年)から1883年(明治16年)の間に竣功したはずで、仮にここが1882年(明治15年)の竣功だとすると、今から140年前に造られた道。いうなれば、140年前から連綿と続く風景がここにある、と言うことになる。そう思うと、何だか非常に感慨深い。

思えば、この旧道は私が探索を始めた明沢トンネルの分岐点からここまで、地図の等高線に沿うような感じで進んできた。この区間の三島通庸(みしまみちつね)が造った道は、この後の辯當澤橋から始まって八ツ口旧道まで歩いてきたが、なるほど同じ人間が作った(三島自身が切り拓いたわけではないが)道らしく隧道や橋は極力作らずに、忠実に等高線に沿う形で造られているところが面白い。

例えば「橋」として見てみると、この区間は宇津峠側から杉橋、明沢橋、栗松沢橋、辯當澤橋、木附橋、綱取橋、赤芝橋といろいろあるが、そのどれも「これは橋を架けないと先へ進めないよね」と言う位置に架橋されている。隧道として見てみれば、片洞門を除いて隧道は一本もない。

そして、そこに係る橋梁群は綱取橋を筆頭として、そのどれもが非常に魅力的な橋ばかりだった。
赤芝橋は羽越水害で落橋して架け替え、木附橋は先日架け替えられて現存はしないが、唯一と言っていい姿が私のレポートの中にある。その他の橋は現存しており、その姿は今でも見ることが出来ると言うのが素晴らしいと思う。

この国道113号に関しては、多くの道をレポートしてきた。それは新潟在住の私にとって、単純に地理的要因もあったが(早い話が近かった)、それ以上に引き付ける何かがあったのだろうと思う。国道113号で探索しておらず最後に残っているのは、国道49号の五十島旧道と並んで私をこの世界に引きずり込んだ、宇津峠だ。

明治の開通から改良に改良を重ねて今に至る、国道113号。
その時々で多くの人が開通に喜び、人や車が行き交うことで賑わい、それに伴って新しい道が造られて、それまでの道は旧道となり廃道となってしまった。その道たちにもう一度表舞台に出て来ていただきたい。その思いで探索を続けてきた国道113号の旧道群。最後に残る宇津峠も、近いうちに必ず探索して決着をつけたいと思う。


見ようと思って見ないと、見えない橋。その姿はコンクリートアーチ(上路開腹アーチ)橋で、今も立派にその役目を果たしていた。この橋と前後の旧道を「もう一度、表舞台へ」と言う思いで探索したが、その役割は果たせただろうか。だが、この道は、あの雪原から先、米坂線までの区間が未探索で残っている。その時に、もう一度この橋に会えるかな。

一般国道113号
明沢トンネル旧道

完結。