一般国道113号
明沢トンネル旧道
第9部

2022年4月17日 探索 2022年6月21日 公開

上路開腹アーチ

白トビの雪原から脱出して小径に辿り着き、ようやくここまでやってきた。ここは現道の明沢橋の袂だ。ついさっき旧明沢橋を実際に渡って楽しんできた私は、その橋をもっと見てみたいと思いつつ雪原を抜けてここまでやってきた(←そんなに大したこと話じゃない)。

この画像は今まで通ってきた小径を振り返って見たものだ。抜けるような青空と、積雪が残った山々のコントラストが美しい。今は見えないが、この雪原の中に旧道の路盤が隠れている。そう思うと、その旧道の路盤もやっぱり見てみたい。
うーむ…やはりここは再訪するべきか…。

現道の明沢橋から下を眺めてみると、旧道の明沢橋の袂から繋がる旧道を見ることが出来た。ここから見ても、なかなかの勾配であることがわかる。よ~く見てみると(実はズームレンズに変えて見てみたのだが)、数分前に私が通ってきた足跡が見えた。旧道の路面に積もった雪が消えると、今は残っている私の足跡も当たり前だがやがて消えてしまう。私が通ってきた(生きた)証として、何かの足跡を残せるような人になりたいと思った。

視点を変えると現れる、これが旧道の明沢橋の姿だ。現道の明沢橋が補修工事を受けているので足場が見えているが、それを差し引いても実に美しい姿が目の前に現れた。この旧明沢橋の姿は現道を通っているだけでは見ることが出来ない。いわば、見ようと思わないと見えない姿でもあるので、手軽に特別感が味わえる。

ところでこの画像を見て気づいたが、この橋の四隅には、偶然なのかもしれないが、木が生えている。この木はもしかして桜か?と思ったものの、今は4月の半ば。蕾があっても良さそうなものだが、下で見たときも確か蕾らしきものは見えなかった。桜なら絵になるんだけどなぁ…と、贅沢なことを思ってしまった。

足場が入らないように、少しズームして撮影してみる。この角度の方が橋のアーチがよく見えるのでじっくり観察してみると、旧明沢橋は橋の形式としては「上路開腹アーチ」と言い、橋のアーチの上に路面があり、アーチと路面の間が空いている構造の橋のことを指す(これが旧綱取橋のように埋まっている構造のものは「上路充腹アーチ」と言う)。優雅にも見えるその姿を真横から撮影することが出来たら、さぞ美しい橋の姿が見れたことだろう。また、川の水のエメラルドグリーンの色合いとも似合っていたと思う。
つくづく、雪が消えていたら良かったのになぁと悔やまれる。雪が無くなったころにもう一度来て、撮影してみたい。だが、そのころは下草がどうなっているか…。

少し角度を変えて撮影してみる。こうして見ると埋められた高欄がよく見えて、その存在を確認することが出来るが、木附橋と言い、この明沢橋といい、どうして高欄が埋められた橋が多いんだろう?。埋めずにそのままでも特に支障はなかったはずなのだが・・・。それでも木附橋はかろうじて親柱が残っていたので、その竣功年月や橋名など素性を確認することが出来たのだが、この橋は4本とも親柱が壊されているので素性が全くわからない。

ここは三島が拓いた道。この明沢橋の(小国側の)次の橋は(旧)栗松沢橋で、この橋の竣功が1968年(昭和43年)6月30日。とすると、この明沢橋もそれに近い日付の竣功かもしれない。だが、仮にそうだとしたら、今度は現道との日付が合わなくなってしまう。現道の明沢橋のすぐわきにある栗松トンネルの竣功が1974年(昭和49年)11月。
もし仮に(旧)明沢橋と(旧)栗松沢橋との竣功が近いとしたら、(旧)明沢橋は明沢トンネルの開通までの6年程度しか使われなかったことになってしまうのだ。うーん…。

旧明沢橋。こうしてみると道幅の狭さがよくわかる。大型自動車なら1台、乗用車でもギリギリ対面通行できるかどうかといったところだろう。もちろん、照明なんて気の利いたものはなかっただろうから、この橋を夜間に通ることになったら、ハンドル操作を一歩間違えば川に転落だから、さぞかし怖かっただろうなぁ!という気がする。

ところで1968年(昭和43年)ころと言えば、モータリゼーションの真っ最中。高度経済成長の中で生まれた「三種の神器」の一つとして自動車が普及し、代わりに公共交通機関(バスや鉄道)の輸送人員が減少に転じたのも、この頃からだ。また、自家用車の急激な普及に道路などのインフラ整備が追いついていなかったこともあり、交通事故件数・死者数がピークとなって「交通戦争」とまで呼ばれた。この頃の交通事故での死者数は、武部健一氏の著作 『道路の日本史』(中央公論新社刊)によると一年に16765人とあるから相当な数である。また、道路防護施設として道路照明や防護柵(ガードレール)、あるいは道路情報装置などが積極的に展開され始めたのも、この頃である。

旧明沢橋と戯れた後は、今度は反対側(栗松トンネル側)からこの旧道を辿ってみたい。今度はどんな道なのか。だが、栗松トンネル側から探索するためには一つ難関も存在する。
それはいったい…?。

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