一般国道49号
福取トンネル旧道
惣座峠 第9部

2022年5月4日 探索 2022年8月16日 公開

いかん!これはいい!

この石垣を見た瞬間、一瞬眩暈がしてしまった(笑)。
沢を越えるために橋ではなく、このような形で山側谷側に石垣を組み、路盤をしっかりと確保した上で中央に沢が通るだけの穴を明けて沢を通す。早い話がこれ「橋」と言えるかもしれないが、こういった形で沢を通そうと言うことが素晴らしい。これが現代だと・・・ボックスカルバートで沢を越えるか、ここと同じ手法を取り、最後の穴の部分だけコルゲートチューブで沢を通すかの、どちらかだろう。ここも、もしかすると沢が通る最後の穴の部分だけはヒューム管になっているかもしれない。

いかん、こういったことを考え出して話し出してしまうと、キリが無くなってしまうのが私の悪い癖だ。話を本題に戻そう。ここは山側の石垣の下に降りて撮影した画像で、見ての通り降りるのに少し苦労はするが、間近でじっくり観察できるので非常にありがたいポイントだ。その石垣は長年の間に少し崩れてはいるものの、大きな改修を受けた跡もなく、往時の姿を今に伝えてくれている。

しゃがみこんで撮影してみる。石垣からはシダ系の植物が生えていて、緑色の苔もその表面を覆い尽くそうとしている。ところで、この石垣が越えようとしている沢はそんなに大きいものではなく、右隅にもその沢の片鱗が少し写り込んでいるが、清流の沢と言った細い流れだ。但し大雨などの時は、その細い沢に多くの水と土砂が流れることも考えられる。今まで残っていることが奇跡と言えるのかもしれない。

沢が貫通しているところを確認することが出来た。それはとても小さくて細く、飛び切り小さなアーチの半分は既に土砂で埋まりかけているというものだった。近年の大雨による土砂災害などがひとたび起きれば、ひとたまりもなく土砂で埋もれてしまうほどの小さなアーチだ。だが、大雨になって土砂崩れでも起きてしまえば、この美しい石垣も失われてしまうかもしれないのだ。

探索したい。この風景を見たい。そこがどうなっているのか見たい。そう思ったら、出来るだけ早めにいかないと、もしかするといけなくなるかもしれないし、二度と見れなくなるかもしれない。この石垣を前にして、そんなことを感じていた。もしかすると、開通当時からあるかもしれないこの石垣が私に教えてくれているのかもしれない。

これは山側の石垣だが、福取の集落側はこのように緩やかな斜面で沢まで降りれるようになっている。自然の近いがどうかはわからないが、辺りの山々の斜面の様子を見てみると、おそらくは人工的に造成されたものだろう。この石垣や、沢が通るアーチをメンテナンスするための保守用通路かもしれない。また、路面の脇に設置されていた側溝も、最終的にはこの沢に流れ込むように造られているようだ。

その沢を見てみると、美しい沢だった。様々な木々が生えている深い森の奥から流れ出す、清らかな流れ。その水を手に取ってみると冷たく、気温が高い今日みたいな日は触れただけで生き返るような気がするほど清らかな水のように思えた。

先ほど休憩したばかりだが、ひとまず自らの身体に装着している装備を外し、乾いた清潔なタオルを手に、この冷たい沢の水で汗ばんだ顔を洗ってみる。顔に水を当てると氷水じゃないかと言うほどに水が冷たくて気持ちよかったので、調子に乗って手で水をすくい頭に掛けてみる(私の髪形はヘルメットを被る都合上スポーツ刈りにしているので、水を掛けてもタオル一枚あればすぐに乾くのだ)と、火照った頭がクールダウンされて、すごく気持ちよかった。自分でも「そうかな」と気づいてはいたが、やはり熱中症になりかけていたのかもしれない。こうなると水分だけ補給していてもダメで(こういう時に普段携わっている赤十字救急法が役に立つ)、持ってきていた個包装の梅干しを食べて休むことにしよう。

梅干しに麦茶。

夏の暑い盛りの熱中症予防には、これが一番じゃないかと思うくらい、私の身体にはあっているようだ。お茶を飲んだだけでは得られなかったスッキリさが心地よく、今までにないくらい身体が軽くなる。目の前にはこの清々しい旧道の景色。この風景を眺めていると、普段の生活の嫌なことも忘れてしまうくらいホッとする景色で、これを見るために探索をしていると言っても過言ではない。さっきこの景色を見て浮かんだ花嫁行列などの風景は、もしかして熱中症の幻覚だったんじゃないかと一瞬思ってしまったが(笑)。

さぁ、福取の集落までもう少し。
すっかりこの峠を越える旅人の気分だが、ここまで来ると終わりを迎えるのが名残惜しい気もする。だが、私の役目はこの惣座峠をもう一度表舞台に。梅干しでスッキリしたし、さぁ行こう!

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