一般国道49号
福取トンネル旧道
惣座峠 第6部

2022年5月4日 探索 2022年8月4日 公開

横殴りの灌木

横殴りの灌木を何とかして逃れられないかと、進むルートをあれこれ考えて山側に視線を移すと、ずっと組まれていた石垣がここにも続いている。その石垣の隙間から灌木が生えていたりして、「こんなところから生えんと、地面から生えんかい!」と山中で一人灌木に無意味なツッコミを入れたりしていたが、改めて石垣を眺めてみる。この道を切り拓く際に造られたであろうこの石垣は、何十年前からここに存在していたのだろうか。いまだに崩れておらず、道を守り続けるその強固さに感激した。

石垣でひとしきり感激した私は、ヤブを掻き分けて先へ進む。道幅は広く、優に二車線の幅はある。局改(局所改良)によって現道が開通するまでは、ここを多くの車が通って峠を越えていったと思うと感慨深い。さーて、どんな人や車が通ったのだろうか。
想像するとなかなか楽しいが、ここは新潟県の端っこなので、この峠をバスが通っていたとするなら新潟交通のバスだろう。実際、この峠を越えたところにある福取の集落の先に、八ツ田と言う集落がある。この八ツ田の集落は県境の鳥井峠の麓の集落だが、2018年(平成30年)9月28日までは新潟交通(新潟交通観光バス)の路線バスが津川から運行されていた。と言うことは、私が今立っているこの道もバスが通っていたはずで・・・
どんなバスかなぁ?ボンネットバスかなぁ?と想像が膨らむ。戦中に運行されていた「木炭バス」だったりすると、この坂を上るのに一苦労だろうな。

木炭バスとは、長ったらしく書くと「石油代用燃料使用装置設置自動車」という。木炭でどうやって走るの?!と思ってしまうが、要は木炭を燃やして不完全燃焼した際に発生する一酸化炭素ガスと、同時にわずかに発生する水素(合成ガス)とを回収し、これを内燃機関の燃料として走る自動車のことだ。戦中で石油が不足していた際はこれでバスなどを運行していたのだそうな。だが、まったく力がなかったと聞く。

さっきから広くて快適な旧道を進んでいる。山中にこれだけ幅広い旧道が隠されているとは思わなかった。これまで私が通ってきた旧道は先輩諸氏に比べると決して多くはないが、少なくとも私の中ではこの道は快適な旧道と言え、歩きやすいと言うのは非常にありがたいことだった。だが、さっきクマと遭遇しかけたばかりだ。石垣とか道幅とか新潟交通とか木炭バスとかでいろいろ興味をそそられ、そのことを忘れていた。周囲に細心の注意を払いながら探索を続けよう。しかしこの道、クマの一件を除くと探索しやすい旧道だという気がする。なぜ通行した記録が少ないんだろう?。

この道の通行記録をネットで軽く検索をしてみると、直近では2015年(平成27年)8月24日に「遍照の響き」氏が通行された記録がWEBで公開されているのが最後と思われる。その時、氏は結構なヤブであったこと、原付で通行されたことをレポートされているが、氏が通行したのは真夏で季節的なこともあり、おそらくは今とそう変わらない状況か、それ以上の道の状態だったのではないかと思う。このあたりも夏になれば草が覆い茂るかもしれない。

ここへ来て多少ヤブが深くなってきたが、この先もヤブを掻き分けると言うほどまではいかないようだ。これはやはり草が冬枯れしているという状況が大きい。これがもう少し季節がズレたりなんかすると草が生い茂ってしまい、掻き分けないと通れなかったと思う。

ところで、道の左側にはあの見事な石垣、右側には杉林があったりして、旧道らしい実にいい風景が続いている(しいて言えば正面の灌木が邪魔だが(笑))。また、左側の石垣の上に生えている木々の新緑が眩しく、実に気持ちいい。ただ…やや暑い。先ほどまで吹いていた生暖かい風も止まってしまった。次の日陰で休憩しようかな。

灌木と格闘しながら歩いていくと、左側のあった石垣がいつの間にかなくなっていて、このような簡素な擁壁になっていた。コンクリートで出来た柱状のものが組み合わされて柵状になっており、果たしてこれを擁壁と呼ぶのかどうかわからないが、もしやあの石垣が何かの理由で崩れてしまい、補修した跡なのかもしれない。

おお!気持ちいいー!

思わず大きな声で言ってしまった。他に人もいないし、久しぶりに大きな声を出したのでスッキリした。
クマ避けにもなるだろうから、いいだろう(笑)。
で、何が気持ちいいかと言うと、この風景だ。突然に路面の灌木がなくなり、広い道幅で目の前の視界が一気に開けて道の印象が開放的になり、日差しがたっぷりと路面に降り注いでいる。「なるほど、こりゃ草も生えるわな」と、妙に納得してしまった。この先、どんな表情を見せてくれるのか、すごく楽しみだ。

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