一般国道113号
明沢トンネル旧道
第8部
2022年4月17日 探索 2022年6月17日 公開
現道の明沢橋の袂に出る小径を歩いている。その道のほとんどは雪に覆われているものの、路肩は雪が融けて道の在処を示してくれているため、非常に気が楽でサクサクと歩いて向かっていける。その道の脇に広がっているのは田圃だろうか、畑だろうか。前方の道の脇には特徴的な三角屋根の建物が見えるが、住居ではなさそうだ。とすると、農機具小屋だろうか。屋根を三角にすることで建物に雪が積もらず、雪の重さで倒壊するのを防ぐと言う、雪深いこの土地ならではの建物と言える。まずはあそこまで進んでみることにして・・・
安心して歩ける道に出たところで地図を拡げて確認してみると、この道は現道の明沢橋のところで国道113号を横断して山中に向かって奥深くに分け入っているため、林道のような性格の道と思われる。実はこの道に入って進んだ遥か先にも気になるところがあって、いつか探索しようと思っているのだが、まだ実現していない。
いい風景だ!
なんと長閑な風景だろう。ここまで来ると路面に雪はなく、快適に歩ける。やはり安心して通行できる道を言うのはいいものだ。前方には今の私が目標にしている現道の明沢橋が見える。もう少しだ。ところであの三角屋根の小屋は、やはり農機具小屋だった。このくらいの大きさなら手頃で、いろいろ遊ぶのに使えそうだが・・・
一車線幅の道にはかわいい待避所があり、ここで行き違いが出来るようになっている。左側の山側には小さいながらも石垣があったりして寄り道要素がたくさんあるので、気を付けないといけない。夢中になってしまう要素がたくさんだ(笑)
寄り道要素がたくさんありそうな道であたりを見回してみると、路肩から頭を出しているモノに目が留まった。パッと見で「標柱かな?」と思ったが、どうも違う。そこで近づいて見たのがチェンジ後の画像だ。これは・・・レールではないか?。大きさからすると軽便や林鉄のレールではなさそうだが、米坂線のレールの大きさとも違うように思える。よく見ると路肩に等間隔に打ち込まれていて、何かの鉄道防護施設の跡かとも思ったが、それにしてはこの場所が米坂線から離れすぎている。果たしてこれは・・・どこのレールで何の目的だったんだろうか?。
そのままテクテク歩いていくと、現道の113号に合流する十字路に出た。ここを右に曲がると明沢橋、橋を渡って明沢トンネル、直進すると山中に入っていく林道、左に曲がると栗松トンネルで、トンネルを抜けて少し進むと右側に旧栗松沢橋と旧々栗松沢橋が見えてくる。せっかくなので、左側にある栗松トンネルの銘板を見てみよう。
栗松トンネル。竣功は1974年(昭和49年)11月。年代的には私と近く、何だか親近感を覚えてしまう(笑)。それに、新潟だと「北陸地方建設局」なのだが、山形は「東北地方建設局」なのね(当たり前のことなんだが)と、何だか新鮮に感じられて楽しい。おそらく明沢トンネルも似た竣功年月だろう。この後、このトンネルを通って反対側からこの旧道を探索する予定だが、まずは旧明沢橋!。
現道の明沢橋から明沢トンネル、その先の坑口まで一直線に見える。ここから見ると明沢トンネルの全長はそんなに長くないように見えるし、実際そうなのだが、旧道を通っていると長かった!(笑)。現道に対して旧道はおそらく2倍程度の長さだと思う。なるほど、新しく橋とトンネルを造って一直線に抜いたのも、わかるような気がする。
いよいよ現道の明沢橋の上から旧道の明沢橋を眺める瞬間が来た。いったい、どんな橋の姿を見せてくれるのか、楽しみだ。