一般国道49号
七折峠 旧道編 第5部

2021年3月20日・2021年4月11日 探索
2021年5月25日 公開

七折でありながら。そのカーブが5つしかない七折峠旧道。そのカーブもいよいよ最終の5番カーブに入る。急なバンク角度で抜けていく4番カーブを抜けた先の5番カーブは、バンクの角度は緩やかだが結構急なカーブで、塔寺側から走ってくると4番カーブで減速を強いられた全車両は、十分に速度が落ちた状態でこの5番カーブに入っていく道形になっている。
ところで、カーブの先には現道の坂本橋が見える。山肌に沿って走る旧道に比べて、坂本橋で谷を一気に渡り直後に七折峠トンネルで峠を越えるという現在の道の造り方は、通行は非常にスムーズだが、そこから見える風景の何かが失われているような気がするのは、私だけだろうか。

最終の5番カーブを抜けると、旧道は現道との合流点を目指して進んでいく。道幅も広く、ちゃんと管理されていることを伺わせる立派な道路で、路面はごみ一つなくきれいな路面だ。きっと定期的に清掃されているのだろう。そういえば、これまでの旧道の道筋でも、路面や路肩は非常に綺麗だった。旧道と現道が合流する地点まで、もうすぐだ。

あれだけ急勾配の急バンクに急カーブで峠を下っていた旧道も、さすがにここまで来ると現道とほとんど同じ高度になって、あとは合流するだけといった感じだ。ところで、ここで立ち止まって「地理院地図」をプリントした馴染みがある地図を確認してみると、旧旧道と思しき道がこの辺りで旧道に合流しているはずなんだが…。あたりを見回してみると、それらしきガードレールの切れ目が前方に見える。一見すると、ただの農道にしか見えないが…。

現道との合流地点直前で、旧道を振り返ってみる。前方左側に見えるガードレールの切れ目が旧旧道の分岐点らしい。ここから見ると旧旧道は左に見える森の中に突っ込んでいくようで、その道筋は見えない。これに対して旧道は右に分かれて築堤の上を山肌に沿って進んでいき、その道筋は奥の中央を横切っている。旧道と旧旧道では峠へのアプローチの仕方が違っていて、こうして比較して眺めてみると面白い。

左側に走る現道。ここから眺めてみると、現道は(当たり前だが)実に潔く、これ以上はないって感じで正面から山に挑み、坂本橋で谷を越え、トンネルで七折峠をぶち抜いている。会津三方道路の開通を唱えた三島通庸も、その開通から数十年後には七折峠をトンネルで越えているなんて、考えたことはなかっただろう。

現道と旧道が合流する交差点から、現道方向をズームレンズで撮影。手前の橋が坂本橋で、奥に見えるのが七折峠トンネルだ。塔寺側の坑口はいわゆる「突出型坑門」だったが、それはこちらも同じ構造になっているようだ。…と見たところで、七折峠トンネルの坑門の上に目が留まる。
トンネル坑門の上の斜面を横切る白い帯のような構造物は、ガードレールではないか?。それに、更にその上にある、山肌を削り取ったような斜面の下にある水平の線は…路盤ではないか?。

これが七折峠の旧旧道か?!

手元の地図を確認してみる。現道の七折峠トンネルの上を通る道は、旧旧道と思われる破線の道しかない。現在の地図記号で破線は「徒歩道」。と言うことは、これがおそらく旧旧道だ!。ここから見ると雪は消えていて探索は出来そうだが…今日はこのあと、藤峠付近の下調べも予定の中に入っている。無理は禁物、次回の探索に委ねることにしよう。

旧旧道の片鱗に触れて興奮していた私は、そのまま藤大橋方向を眺めてみた。会津三方道路が開通する前の会津街道は七折峠の北側にある鐘撞堂峠(かねつきどうとうげ)を通り、束松峠を通って西会津町方面に抜けていたとは以前に書いたが、それがこの画像で言うところの右側の一帯だ。この画像で左側に向かっていくと会津沼田街道であり、正面に進むと藤峠方面へ進む。
探索対象が多くあって実に嬉しいが、一つ一つを正確に探索していくためにも、焦りと無理は禁物。まずは目の前の七折峠に集中することにしよう。


そのためには雪が消えたころを見計らって、もう一度七折峠に再訪しなくてはならない。
その時こそ、いよいよ旧旧道と対面する時だ。待ってろ、旧旧道!。

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