一般国道49号
七折峠

2021年3月20日・2021年4月11日 探索

二つ少ない

これまで何度も登場してきている、一般国道49号。
もはや常連と言ってもいいくらいの頻度だが、今回は同じ49号と言っても少し違う。
今回は新潟を離れてちょいと遠征したのだ。その場所は、福島県河沼(かわぬま)郡会津坂下(あいづばんげ)町。
この会津坂下町や、お隣の柳津町の付近には会津街道時代の峠が数多くあり、この七折峠のほかにも鐘撞堂峠(かねつきどうとうげ)や束松峠(たばねまつとうげ)、藤峠(ふじとうげ)などがあったりするが、元々の会津街道は七折峠の麓の塔寺の宿を出ると、七折峠の北側にある鐘撞堂峠を通り束松峠を通って、現在の藤トンネルを西会津町側へ抜けた別茶屋と言う地名の場所で、現在の道筋に合流していた。つまり、これから紹介する七折峠は最初から会津街道の峠だったわけではなく、元々は福島県の会津と群馬県の沼田を結ぶ会津沼田街道の峠だった。これが、会津三方道路開通の際にルートが見直されて七折峠、藤峠経由の現在の道筋となったのだ。この会津三方道路の開通を唱えたのは、またまたあの「三島通庸(みしまみちつね)」である。正直、またお前か…と言う心境だが、ちなみにこの会津沼田街道、現在は一般国道252号の一部として河沼郡会津坂下町と南会津郡只見町の間が指定されている。

ところで、今回紹介するこの七折峠は、読んで字のごとくカーブが七つあるから七折峠と言うのだろうと、誰しもがそう思うだろう。と言うことで、ここで地図を見てみることにしよう。おなじみ「地理院地図」である。


国土地理院の電子地形図を掲載

これは現在の七折峠の旧道付近を切り出したものだ。右上側が塔寺方向、左下が会津坂下の市街地方向だ。地図を見ると、太字のゴシックで七折峠と書かれている文字の少し上に、赤く表示された道が長めのトンネルに入っている。これが一般国道49号の現道の七折峠トンネルで、旧道はこのトンネルに寄り添うように塔寺方向からやってきて、くねくねとカーブしながら現道に合流している。チェンジ後の画像は、この旧道のカーブを数えてみたものだが、ここでおかしなことに気づいた。

カーブが二つ少ない。

この峠は「七折峠」と言うのではなかったか。それなら七回折れる=7つのカーブがあると言うことなのだろうが、旧道を数えると5つしかない。
さて、あと二つのカーブはどこにあるんだろうか。何か見落としてることはないかと改めて地図を眺めると、2番カーブの途中から点線の道が道筋とは反対方向に分岐して進み、現道の七折峠トンネルの上あたりで方向転換、そのまま等高線に沿うように降りてきて磐越自動車道の下をくぐり、旧道が現道に合流する直前で「旧道に」合流している。これってもしかして旧道だろうか?。いや、旧道から分岐しているので「旧旧道」か。…面白そうじゃないか。

と言うことで、最初の探索は2021年3月20日。カメラやヘルメット、長靴などを車に積み込んで車を走らせる。
この七折峠の近所には鐘撞堂峠や束松峠、藤峠、持寄トンネル、柳津隧道、滝谷川橋、滝隧道など、探索対象箇所はいくらでもある、旧道の宝庫と言ってもいい場所だ。それらの下調べも兼ねているが、まずは七折峠へ向かおう!。

5回曲がる七折峠へ

ここは七折峠トンネルの塔寺側坑口だ。トンネルの脇には大きな駐車場があり、除雪基地にもなっているようだが、ここがトンネル掘削時の事務所兼資材置き場兼飯場の跡地だろう。私はその駐車場に車を停め、現道との分岐点まで歩いてやってきた。
トンネルの坑口や、右側の作業道と思しき道(実はこの道もかなり気になった。だって、道形からすれば、こっちも十分に旧道と思える道形をしているもんね)には白い雪が積もり、3月と言えどもまだ雪解けは遠いらしい。

ところで私は旧道の真ん中に突っ立って撮影しているが、そこにある道幅は広く十分なもの。隣を走る現道と比べても遜色ないもので、ここがホントに旧道なんかなと思わせるほどの道幅だ。念のため手持ちの地図を自分の位置を確認するが、分岐点はここでまず間違いない。問題は、この雪で旧旧道の探索まで手が回るかと言うことだ。だが、ここで考えても仕方ない。

では、探索開始!

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