一般国道49号
七折峠 旧道編 第1部

2021年3月20日・2021年4月11日 探索
2021年5月9日 公開

それでは、これからいよいよ旧道の探索に入るが、その前に現道の七折峠トンネルを見ておこう。正面が七折峠トンネル、左に分かれて山中に突っ込んでいく広い道が旧道だ。そして、ここからは見えないが、この旧道の更に左側にはJR只見線が走っていて、この狭い場所に二本の道路と一本の線路が通っているのだ。

現道から旧道方向を見てみる。およそ旧道と言う言葉に似つかわしくないような、かなり広い道が山の中に入っていく。これだけ広々とした道幅なら今も現役で使われていてもおかしくはないが、そこは旧道。見ての通り、旧道のセンターラインは擦れているどころか消えてしまっている。でも、これだけ広ければ何か他に使えそうなものだが…



さて、七折峠トンネルだ。ところで「ななおれ」と読んでしまいそうだが、「ななおり」が正解らしい。全長は1045メートルで、ここからでも新潟側の坑口が前方に見えている。坑内は広々としていて、余裕をもって通れる現代のトンネルだ。ちなみにこのトンネル、歩道部分も結構広めの幅があり、安心して通れるのは嬉しい。
チェンジ後の画像は七折峠トンネルの銘板だ。新潟県は北陸地方整備局だが、福島県は東北地方整備局、普段は新潟県で北陸地方整備局の名前しか見てないので、なんだか新鮮な気がする。竣功は2001年12月。この時までは脇を走っている旧道が現道だったのだ。と言うことは、旧道化してから21年。結構な時間が経過していることを考えると、旧道もいつまで通れるかわからない。今回は無事に通れることを祈って、よく観察しながら進んでいこう。
さ、旧道へ戻って探索開始!。

旧道に戻って進んでいると、七折峠トンネルの坑口を横から見える位置に来た。御覧の通り七折峠トンネルの坑口は突出型坑門だ。こういった坑口が飛び出た突出型坑門には、延長された坑道部分の強度不足と言う致命的な欠点があり、現在はほとんど用いられていない。それにしても、よく飛び出てるなぁ…。こうしてトンネルの坑口一つでも、よく見てみるとなかなか面白い。こういった旧道の分野に足を踏み入れるか、こういった土木や建築、設計の道に進まなければ知りえなかったことだ。こうして初めてのものに触れることは、実に楽しい。



先へ進んでいくと、やっと黄色のセンターラインが見えてきた。左隅の黒い影は私の指で、レンズを変な持ち方していたために少し写り込んでしまった。ところで、旧道の脇には今でも数軒の建物がある。そのほとんどは今は使われていないようだが、現道当時の雰囲気をよく残しているアクセントと言えるかもしれない。
チェンジ後の画像は消えかけたセンターラインを撮影したもので、旧道らしい一枚だ。この旧道は今は会津坂下町道となっているが…実は私が旧道に入ってから一台も通っていない。なので…センターラインも、これ以上消えることはないか?!。

ふと横を見ると、シャッターが閉まったコインスナックのお店があった。閉店して21年だろうか。こういったお店は、今ではほとんど見られなくなって久しいが、以前は主要な国道沿いには必ずあると言えるほどメジャーなものだった。以前の私は400㏄のバイク(ホンダのCB400 Super Four)に乗っていて、一人で頻繁にツーリングに出かけていたが、その時にもよくお世話になっていて、つい懐かしくなってしまい撮影。「コインスナック」の文字は以前は水色で書かれていたらしく、退色してしまってほとんど見えなくなっているが、「24時間営業」「ルート49」の文字はハッキリと見える。

コインスナックを過ぎると、左には太陽光発電のソーラーパネルが立ちならぶ。右側には森が広がっているが、鬱蒼とした森と言うわけではなく、下草がちゃんと刈られている里山の森と言った印象だ。相変わらず広すぎる道幅に消えかけたセンターライン、車が通らず静寂に包まれている道筋は、旧道を楽しむと言うよりも一抹の物悲しさを感じてしまう。


実はこの峠、ここまでほとんど平坦だ。だが、これから先に進むと道は急な下り坂になり、一気に会津坂下町の市街地へ降りていく。この理由は次回以降にお話しするが、その前に実に珍しいものを見つけてしまった。早く紹介したくてウズウズしているが…。

と言う訳で、以下、次回!。

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