一般国道49号
七折峠 旧道編 第4部

2021年3月20日・2021年4月11日 探索
2021年5月21日 公開

七折橋を渡り終えて、振り返って撮影した。ここは2番カーブの終点で、3番カーブの起点でもある。この七折橋は竣功から実に54年(2021年現在)、木の根坂沢を跨ぐ橋は往時より交通量は少なくなったものの、今でも交通を通すという役割を果たし続けている。
ところで、今回の探索では事前に想定していた積雪の量より現地の積雪量が多く、当初の予定では旧道の探索を終えると、そのまま旧旧道の探索へ入るはずだったが、どうやらそれは難しそうだ。だから、旧旧道の探索のために近いうちにもう一度訪れないといけないのだが、その分岐点は「七折橋より手前のどこかにあるはず」と前回書いた。それはどこなのか。この時点で私はまだ気づいていなかった(帰ってから撮影した画像をよく見て、気づいたんだけどね)。

緩やかに曲がる3番カーブを越えて、4番カーブに突っ込んでいくところを撮影した。ここは見ての通り、両側の切通しが美しい区間だ。山肌を削り、切通しで道を拓いて、急カーブの連続だった旧旧道を改善するべく開通した旧道(何となくややこしい気がするのは気のせいか)。それでも、塔寺側から会津坂下の市街地に向かう旧道の道筋は、只見川へ向かって一気に下るため非常に急勾配で、なおかつ急カーブが連続する道筋になってしまった。ここも画像ではわかりにくいかもしれないが、非常に急な下り坂。こうして立っていても若干の怖さを感じる。

ここは七折峠旧道の4番カーブ。小さい谷を暗渠で跨ぎながら等高線に沿って大きくカーブし、5番カーブへ突っ込んでいく線形をここで立って眺めていると、ある種の潔さまで感じてしまうほど見事だ。ガードレールも傷んでなくて、積雪地域にありがちな歪んでいたり、一部が曲がって壊れていたりせずに、ちゃんと設置されていると言うことが素晴らしく、ここだけ見ているととても旧道とは思えない。

ここは4番カーブの出口。路肩に残る雪が旧道の路面を濡らしている。この雪でこんな感じなのだから、この道が現役だったころの冬は果たしてどんな様子だったのか。それは想像して余りある、非常に厳しい峠道だったのではないか。その証拠に(と言うほどでもないが)、路面のバンク角(傾き)が非常にキツい。この画像はカメラのファインダーの中に表示されているグリッド線を水平にして撮影しているが、それでもこの角度。路面だけ見てれば、どこぞのサーキットのカーブかと見間違えてしまいそうだ(それは言い過ぎか?)。



4番カーブを過ぎて5番カーブへ向かう路肩に水準点の表示板を見つけた。地図上で235.1の数値が表示されている水準点だ。その表示板には国土地理院東北地方測量部と表示してあるが、私が住む新潟県は北陸地方測量部の管轄なので、こうした表示の違いでも目新しさを新鮮さを感じてしまう。ちなみに北陸地方測量部は新潟にはなく、富山県富山市にある。

改めて4番カーブを抜けたところで撮影してみる。画面奥側が塔寺側だ。2枚前の画像でも路面の強烈なバンク角を撮影していたが、これはカーブの全体像を捉えている。全体的に明るい印象の峠道だが、ここに佇んで旧道を眺めていると、この下り坂と戦っている大型車の様子が目に浮かぶ。
荷物を満載した大型車が下りの慣性に逆らってフルブレーキをかけながら下っていったり、全力で駆け上がっていく様子を思い浮かべると、局改で坂本バイパスが開通した際は通行がすごく楽になったことだろう。


過ぎていくその時代時代で、さまざまな道筋が通っている七折峠。時として旧道や旧旧道を追いかけることだけに目を奪われてしまいがちだが、そうではなくて、そこを通った人や車が見た風景を思い起こすことも大事だと言うことを、この七折峠に改めて教えてもらった気がした。
・・・って、なんだかまとめに入っているような感じだが、この峠道はまだまだ終わらない。そもそも旧道編はまだ終わってないし、その後は真打の「旧旧道」と、物議を醸すかもしれない「番外編」が待ち構えているしね。

このあと、現道に合流する旧道を眺めていた私は
あるものを発見する!。

旧道編 第5部へ