一般国道352号
種苧原・城山トンネル旧道
第6部

2021年9月25日 探索 2022年3月1日 公開

田舎道の様相を色濃く残す旧道を進んでいると、右側から和田川が寄り添ってくる。今は増水なども見られず、川の水面と路面の差はこれが通常と思うけど、もしこの和田川が大雨で増水したりすれば、この旧道は水没してしまうかもしれない。このあたりも現道に切り替わった理由だろうか。ところで、前方の電柱に見える黄色いものは何だろう。確認してみよう(←でも、急がないヤツ(笑))

電柱に取り付けられた黄色いものは、新潟県長岡土木事務所が取り付けた「なだれ注意」の看板だった。最初に見たときには気づかなかったが、改めて見てみると取り付けられている位置が妙に高い気がする。これ、たぶんここまで高くしておかないと、この看板が積雪で埋もれてしまうからではないか。私の身長を遥かに超えて更に上にあるこの看板が、豪雪地帯であるこの地域の積雪の量を物語っている。

1車線の細い道が、山と田圃に囲まれた狭い場所を縫うように走っている。一見するとただの農道に見えるが、道に沿って建てられている電柱には今も現役の電話線や電力線が架設されていた。これは、この道が元は主要な道だったことの証だ。

ところで、こうした幹線クラスの電力線や電話線を初めて架設する際には、主要な道に沿って行われることが多い。ここで言う主要な道とはすなわち当時の国道や県道であり、後年になって新しく道が付け替えになったり局改が行われても、こうした電力線や電話線までそのルートを変えることはほとんどないようだ。旧道が主要な交通路として役目を終えたあとも、そこに架設されている電線や電話線の作業道として残っていることが多いのはこのためで、そうした道は最低限の管理が行われているので探索もしやすいと言うメリットがある。

この路面の凹凸が素晴らしい(笑)。道の周りには私の身長ほどもあるススキが生い茂り、小さな沢を渡るためのコンクリート製の桁橋が見える。一応親柱や銘板などを探してはみたが、見当たらなかった。だが、名もなき小さな橋は今も「川を渡る」と言う使命をしっかりと果たしており、実に健気ではないか。感謝をこめながら橋を渡り、その先に目をやると路肩の草の侵食が始まっていて、路面幅が狭くなっているのがわかる。

狭い道を突き当りまで進むと、右カーブが現れる。ここで何気なく立ち止まってあたりを観察してみると、この辺りは道に草が侵食してこないように、路肩の草が綺麗に刈り込まれている。この道が歩んできた歴史を知っている方々は、今は県道や国道の指定から外れてしまったこの道を今も変わらず大切にしているおられるようで、その思いが感じられて嬉しかった。

電柱に何やら表示板が取り付けられているが、ものすごく高いところに取り付けてあるので、これもおそらく積雪対策だろう。カメラのズームレンズで覗いてみると、上は「山古志線」とあり電力線の路線の名称、下の黄色い表示板は「東北電力(株)長岡営業所 河川占用許可済証 新潟県」とある。つまり、この電柱が和田川の河川敷に電柱が立っており、和田川は新潟県管理河川のため許可証が必要ということらしい。

閑話休題。話を道路に戻そう。右カーブを曲がっていくと、またまた橋が現れた。「おれたばし」といい「もりんたばし」といい、この旧道は和田川を何度も橋で越えながら進んでいくようだ。親柱は立派だが欄干はガードレールになっていて、いささかちぐはぐな感じがするのは否めない。この橋もコンクリートの単純な桁橋であることから、当初は相応の欄干があったものの、修繕や更新の時にガードレールになったのではないか?などと、旧道の真ん中に突っ立ってあれこれ考えてみる。こうして道の真ん中に突っ立って考えごとが出来るの言うのも、この趣味の醍醐味だ(笑)。

まずは目の前の橋の親柱を確認してみよう!。

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