一般国道352号
種苧原・城山トンネル旧道
第4部

2021年9月25日 探索 2022年2月21日 公開

オレンジ色のポールが立っていたカーブを過ぎると、ほどなくこの地点に出る。と言うか、この前の画像にも少し写り込んでいた。少しくたびれた舗装の継ぎ目から生えている草と、センターラインのない舗装に旧道臭が満載だ。だけど、そのくたびれた舗装はさほど古くないようにも見えなくもない。
うーむ・・・この道は舗装されてからほどなくして旧道化したんじゃなかろうか?などと想像が膨らんでいくが、それを証明するものは見当たらなかった。さて、この橋を観察してみよう。

右側の親柱には銘板が残されていた。橋の名前は・・・「おれたばし」だろうか。刻まれている字体は流麗な字体で、最初見たときに「はて、なんと読むのだろう?」と目の前にして考え込んでしまった。その親柱は粗い石が練り込まれたコンクリート製で取り立てて珍しくもないものだが、重ねた時間の重さをヒシヒシと感じる、実に風格のあるものだった。

反対側の親柱は草に埋もれていたが、掘り起こして撮影した画像がこれだ。普段は気にも留められないであろう、草に埋もれて銘板が見えなくなっている親柱を確認するべく、草を掘り起こしている姿を想像して頂きたい。
実にアヤシイ姿ではないか。ね?、皆さんもそう思うでしょう?。私もそう思う(笑)。
たまに思うことがある。普通の人が、普通のなんでもない橋のたもとの草を掘り返して親柱を確認しようとしているヤツを見かけたら、すげーアヤシイと思うだろうなぁ…と(笑)。

さて、そうして掘り起こして確認した親柱に刻まれていたのは「県道広神長岡線」。一般国道に昇格する前の名称で、この橋は県道時代に掛けられたものと言うことがわかる。
ところで他の2本の親柱を確認したが、どちらも銘板が失われていて竣功年月日はわからず仕舞いだった。欄干はガードレールを組み合わせたもので、そこから考えると普通のコンクリートの桁橋だろう。橋を渡って、先へ進むことにしよう。

「おれたばし」と渡って先へ進むと、こうした分岐点に出る。道の左側には導流帯があり、右の方向へ進むように誘導されている。そして、正面の分岐点には右への矢印とデリニエータが見える。導流帯で導かれてない左方向の道は、どことなく舗装も荒れているような感じがするのは気のせいか。ここはまず右へ進んで、その先を確認してみよう。

おや?

「国道352号線」「魚沼方面」とある。と言うことは・・・これまで通ってきた道が旧道化したのは比較的新しく、左に進む道はそれよりももっと旧いと言うことだろうか。ここはひとまず右へ進んで、現道と合流している地点を確認してみよう。

改めて分岐点を、今度は右の道主体で眺めてみる。この分岐点から現道までは距離はなく、少し歩くと合流するようだ。正面の山の斜面のところどころに見える構造物は雪崩防止柵(なだれぼうしさく)のようだが、新しく非常に強固な防止柵がいくつも施工されている。これだけでも、この地域が豪雪地帯であることを物語っているが、その雪崩防止柵の下には小さくトンネルの坑口も見えていたりする。

正にトンネル直上の雪崩を「何が何でも止めて道路を守る」と言う、設計者・施工者・管理者の三位一体の気概が感じられないだろうか。この風景を見て私はその気概に直接触れ、しばし圧倒されてしまった。

左の道を進んで、合流点から旧道起点方向を見てみる。これまで通ってきた旧道の道幅と比べて、見よ!この快適そうな道を!。実際に走ってみても非常に快適だった。だけど。だけど、である。何となく物足りなく感じるのは変態だろうか(笑)。そして、ここから反対側を振り返って見ると・・・

トンネルの胸壁といい、その上の高さのあるフェンスといい、先ほどの雪崩防止柵といい、数多くの施設と人の気概を感じるトンネルが見える。これが「種苧原トンネル」で、さっきの旧道の分岐点を左に行くとこのトンネルの旧道区間に入る、と言う訳だ。
それでは旧道に戻り、今度は左に分岐していた道を辿ることにしよう!。

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