一般国道113号
八ツ口旧道 第13部
(完結編)
2020年3月7日 探索 2020年5月30日 公開
ここからは、八ツ口旧道の完結編である。
一旦は完結したが、その後で「関川村史」を取り寄せて読んでみたところ、非常に興味深い記述がいくつも見つかった。ここでは、その「関川村史」を中心にこの八ツ口旧道がどんな道だったのかを掘り下げてみたい。なお、ここで抜粋している文章は全て「関川村史」からの引用であることを最初にお断りしておく。
関川村史を読んでいく中で最初に目に留まったのは、やはり土木建設事業の事柄だった。市町村にとって土木建設事業はとても重要なものと私は思っている。その中でも道路は、そこに住む者にとって一番生活に直結するものであるもの、というのが一番の理由だ。関川村史をじっくり読んでいくと、その第3節土木建設事業の道路の中に、以下のような記述があるのを見つけた。
1885年(明治18年)と言えば、綱取橋旧橋調査編で述べた荒川新道・小国新道が開通した年と合致する。この二つの新道が開通して二級国道となり、その5年後には一般国道113号となって幹線国道になったこの道は、一時期ではあるものの要所に囚人を配置して道を守らせたとあるから、この道がどれだけ重要であったかがわかる。そして一般国道になったその三年後、1967年(昭和43年)8月28日、この道をあの大災害が襲う。その大災害とは羽越水害である。
この羽越水害は一般国道113号に壊滅的な被害を与えたが、その中でも5ヵ所は復旧に際して大規模改修を受けた。この一つに八ツ口局改があり、それに関しての記述を見つけた。
このように、羽越水害を契機として八ツ口地区の国道113号は改築された。私が1971年(昭和46年)生まれなので、この年代にはある意味で実に親しみが湧くものだ。しかし、よく考えてみると八ツ口旧道は旧道化してから半世紀近くの時間が経過しており、今後はどうなるかわからないという側面があるのもまた事実だ。今回、たまたまとは言えタイミングがあって探索することが出来た。
また、この八ツ口地区も非常に歴史ある地区であるものの、1960年(昭和35年)荒川水力電気の手による八ツ口下流の発電所建設によって荒川がダム化し、八ツ口集落も水没することになる。人家は1962年(昭和37年)までに移転を完了した、とある。
私が撮影したこの画像の中に写っていた雷神社は荒川の水際にあるが、その昔はもしかすると八ツ口の集落を見下ろす高台にあったのかもと思うと、なかなか感慨深いものがある。今はこうして普通に眺めている景色も、調べてみると意外に深い歴史を持つものだ。
旧道を調べていると、時折こういう歴史に出くわすことがある。その時は自分の頭の中に当時の風景が蘇り、旧道がどんな雰囲気で車や人を通していたのかと思いを馳せることが出来る。こんなことがあるから、旧道の探索がやめられないのかもしれない。
八ツ口旧道と言うと西澤橋を思い浮かべる方も多いかもしれないが、この東澤橋も私は地味に好きだ。この橋がいつ竣功したのかは銘板が失われていたのでわからないが、竣功したのは少なくともこの道が旧道化する50年前より以前なのは間違いないと思う(ちなみに西澤橋が竣功したのは、1938年(昭和13年)10月。実に81年前だ)。
これから何年、何十年先も
この歴史ある道が残ってくれることを
願って止まない。
一般国道113号
八ツ口旧道
完結。