一般国道49号旧道
宝川白坂区間 第4部
越後街道編
2019年7月24日 探索 2019年9月1日 公開
今回は、この小坂橋を渡ったところから始まる。この橋は昭和37年12月竣功、この辺りでは積雪もあっただろうに、その最中での竣功である。単純な疑問だが、この橋が竣功するまで、この道はどうやって鬼光頭川を渡っていたのだろうか。竣功当時はこの道しかなかったはずで(白坂宿を出てすぐに分岐していた旧道は、この小坂橋が竣功した時にはなかったはず)、もしかして旧橋の遺構でもありはしないかと辺りを探してみたが、それらしき形跡はなかった。
田圃の中を行く道を進んで森の中へ入ろうとすると、交差点が現れる。旧道は左の道で、よく見ると若干だが道幅が広い。それに対して右の道は国土地理院の地図に載っておらず、農道なのか私道なのかなという気もする。どことなく道の雰囲気が立派な気がして、思わず進んでみようとしたが思いとどまり、今回はおとなしく左へ進むことにした。
どことなく懐かしさを感じる家であり、結構大きなお家だ。川と言うか水路を渡って家の裏へ行ける小径がある。私事で恐縮だが、私が小さいころにはこのような家で暮らしており、造りや配置などが非常に懐かしくて思わず立ち止まって眺めてしまった。だが、なんとなく人の気配がしないのは気のせいか。
少し進んで、振り返って撮影した。この右の道は旧越後街道なのだが、もしかするとここは旧国道49号(当時は二級国道115号)だったのかもしれないと思うと道幅が狭く、ホントかな?と思う部分もあるが…。当時の国道は舗装などされておらず、未舗装の砂利道だっただろうから、ここを車も歩行者もゆっくり走っていたと思うと、感慨深いものがある。
古峰神社とあり、村内安全の文字が見える。こうした形式の神社は新潟県内ではあまり見かけることがないが、福島県に入った途端に見かけるようになった。少し調べてみたが確たるものはなく、おそらく村の鎮守様的な意味合いのものと思われるが、詳細はわからず。しかし、神社であることには間違いないので、私もこれからの探索の安全を祈願して一礼した。この神社がある場所は交差点になっており、右に分岐する道がある。
この右に分かれる道は、川谷集落からさらに鬼光頭川を遡ったところにある屋敷集落や楢ノ木平集落へ向かう道で、地理院地図では屋敷集落の近くに鉱山の地図記号と「オパール」の文字があり、非常に興味を引くのだが、今回はおとなしく左へ進む。なお、昭和9年の旧版地形図を見てみると、この地点の少し手前には水準点があり、163.49の数値が記載されている。
左に進むと、このような穏やかな道になる。御覧の通り天候も快晴で、自転車には非常に気持ちいい道となった。上り坂であることを除けば(笑)。この辺に来ると「ここはもともと国道49号です」と言われても「そうだね」と言う雰囲気が満載で、つい最近廃止された旧道のような趣である。
この期に及んで分岐点?!
快調に進んでいると、いきなりこのような場所に出た。
右の道は急角度で下に降りていて、そのまま田圃の脇を進んでいる。対して左の道はそのまま真っ直ぐ進んで、方角としては現道を素直に目指している。さて、越後街道はどっちだろうか。素直に考えると左に進むのが順当と思えるのだが…
そっちかい!(笑)
う~ん、すげー意外(笑)。どう見ても左のように思えるんだけど、素直に進んでいる左の道は後々になって作られた道で、当初は右に降りていた。もっとも、最初はこんな道形ではなくて、路面がもっと低い、それこそ田圃に沿った道を進んでいたんだろうけど。しかし、よく見て頂きたい。電柱は忠実に越後街道に沿って進んでいるではないか!。これには感激してしまった。
先ほどの分岐点から下に進むと、このような細い道となって先へ進んでいる。この道が、少なくとも昭和9年までは越後街道として記され、多くの人が通った道だ。ここでは左に見える田圃の緑が夏の豊かな日差しに照らされ、稲の一本一本の緑が輝いて見えて非常に美しい。ここを街道として通行していた方々も、この田園風景を見たのだろうか。
田園風景を撮影してみたものの、あまり芳しい画像ではなく、やはり私が撮影するには道が入っていないとうまくいかないみたい(←お前がヘタなだけ)。ここにはカーブミラーもあって、一見すると田圃の農道みたいな雰囲気だが、さにあらず。この場所は日差しが照り付ける場所だったが、ここで見るこの風景の美しさに魅かれて、ここで少し休憩することにした。幸い爽やかな風が吹いて、暑さはさほど感じない。
先ほどのカーブミラーがあるカーブを曲がると田圃とは離れ、道は上り坂になる。左右の木々に囲まれて、さっきまで田圃の畦道のような雰囲気の道が、いきなり峠道の、しかも旧道の雰囲気を醸し出してくる。この先に存在する峠と言えば車峠しかなく、この道はその車峠へ向かって高度を上げているようだ。上り坂でペダルが重くなってくるが、のんびりと上へ進む。
いいねぇ!
青空と緑と、若干ひび割れた路面のコントラストが非常に美しい。よく見ると、いかにも山の斜面を切り開いて道を作りましたという感じの道で、緩やかな上りとなって道は続いており、いかにも明治時代に車道として作られたような道だ。
先に見えるのは、現道の国道49号か?。地図を見ると、この道は車トンネルの直前につながっているはずで、先に見えるのは車トンネルの案内標識だろう。越後街道はこの先、現道を越えて反対側の山中を走っている車峠への道につながっているはずで、峠へ向かって一気に高度を稼ぐように、急勾配で現道へ向かっている。
上の地点より振り返って撮影したのが、この画像。峠へ向けて一気に高度上げる旧街道の雰囲気がわかって頂けるだろうか。木々のトンネルがいい雰囲気だ。この坂道を自転車で上がってきたわけで、ここまで来た頃には日頃の運動不足もあり、すっかり息が上がってしまっていた。
車トンネルの坑口に出る直前で道の傍らを見ると、ここにも道標が。左に行くと車峠を指しており、やはり旧越後街道は現道を横断して山中へ向かっているようだ。右へ行くと川谷集落へ通じる、今私が登ってきた道である。この旧街道沿いには要所要所にこうした道標があり、探索する者にとっては非常に助かる。おかげで地形図を片手に進んでいても、非常に順調だった。
さぁ、次は越後街道から少し離れて、白坂集落から分岐していた旧国道49号に進んでみよう。