一般国道49号旧道
宝川白坂区間 第1部
越後街道編

2019年7月24日 探索 2019年8月20日 公開

鳥井峠に続いて、宝川白坂区間の始まりである。この前の探索が鳥井峠だったことから、なんとなく不思議なつながりを感じているこの旧道。その距離も長いが、それ以上にどんな道なのか非常に興味があった。今回の探索区間を改めて地図上で確認してみよう。

国土地理院の電子地形図(タイル)に注釈を追記して掲載

国道49号を新潟側から来て鳥井峠を過ぎ、宝川集落を過ぎた直後から分岐する、この旧道。今回はこの分岐から車トンネルの直前までをお送りする。この区間は鬼光頭川(きこうずがわ)に沿って進み、途中には宝坂、白坂、川谷の3つの集落があって、特に白坂は古くから宿場町として栄えたようだ。
地図を眺めていると、宝川から宝坂、白坂、川谷と、規則的に地名が並ぶ。宝坂には今は民家はないが、その昔はあったんじゃないか?と言う気までしてくる。また、白坂は宿場町だっただけあって、今でもそれなりに大きな集落ではあるようだ。
それでは、探索開始!。

前回の探索の鳥井峠では非常に発見が多くて思い出に残る探索だっただけに、次の探索であるこの旧道も果たしてどんな道なのか、楽しみにしていた。ここはその旧道と現道の分岐点。画像にはギリギリ写っていないのだが(←写るように撮れよ)、この左側に現道の直轄国道である国道49号が走っている。
ここで、直轄国道とはなんだ?と言う方のために、少し触れてみよう。


国道を建設するのは原則として国(国土交通省)だが、一般国道の管理では、政令(一般国道の指定区間を指定する政令)で指定されている「指定区間」と、それ以外の「指定区間外」と分けられている。

この「指定区間」は、おおむね路線番号が1桁・2桁の国道が指定されているが、2桁国道であっても指定区間外であったり、3桁国道でも指定されている区間もある。また、国道の起点から終点までの全区間が指定区間というわけでもなく、例えば国道1号ではほとんどの区間が指定区間に指定されているが、横浜市内および箱根付近では指定区間外となっている箇所もある。このように、指定区間は一般国道の中でもとりわけ重要な路線や区間が指定されており、この区間では災害時の復旧や道路の改修などの道路の維持管理において、国(国土交通省)が直接管理することになっている。この政令で指定された「指定区間」を「直轄国道」と言う。

これに対して「指定区間外」は、かつての二級国道の多くのほか、1993年(平成5年)までに国道に昇格した旧主要地方道・一般都府県道の三桁国道のほとんどが含まれ、管理は国から補助金を受けて各都府県と政令指定都市が行う。この「指定区間外」を「補助国道」と言う。
但し、北海道は道内の全ての国道を国土交通省北海道開発局が管理しているため、道内の国道の全区間が指定区間になっている。このため北海道の国道は全路線が直轄国道ということになる。
(一部引用・参考資料・Wikipedia「一般国道」から)。


それでは、いよいよ旧道へ入っていこう!。今回の探索も自転車である。…でも狭いなぁ・・・。

御覧のように、なかなかの狭さ。鳥井峠にもバスは走っていたとのことなので、ここも集落と集落の間だしバスは走っていたんだろうけど、一台がやっとの道幅。おまけに当時は砂利道だっただろうし、離合はどうしていたんだろうと、ちょっと心配になる。バスの大きな車体をゴトゴト揺らしながら走っていたことだろうが、そこはそれ「譲り合い」の精神で走っていたんだろうな。この探索は、もうすぐ8月になろうかと言う頃で非常に暑い日だった。こうした日は熱中症に注意だ。汗をあまりかかないように、のんびりと先へ進んでいると、山側にあるものを見つけた。

これである。似たような施設は鳥井峠にもあったが、新潟県側では一切見たことがない施設だ。しかも、この付近だけで見かけており、ここから先に進んだ白坂集落から先も、この施設はなかった。これは井戸か何かだろうか。ご存知の方がいたら、ぜひ御教授いただきたい。私がこの前で自転車を止め、金網の中を覗き込んだり、辺りを見回していると、この画像にも地味に映っているが(左の電柱の脇にある)、木柱があった。
木柱と言えば思い起こされるのが、八ツ田集落の先にあったあの木柱。まさか?と思って、確認しようと慌てて近づいたのは言うまでもない。すると・・・

なんだ(←なんだじゃない)、一里塚か…一里塚?!。
一里塚とは江戸時代に全国の主要な街道に作られたもので、一里(約4キロ)ごとに道を挟んで二つの塚(土を盛った壇)を築き、そこに木を植えて目印としたものだ。当時はこの一里塚を道中の目印としたり、一休みしたりして憩いの場ともなったりした。それがここにあるということは、この道はまさしく旧越後街道!。と言うことは、この道は国道49号旧道(最初は二級国道115号)で間違いない。木標の横の面を見てみると「旧越後街道(会津若松大町札ノ辻起点)」とある。こういった史跡があるということは、この先の探索に非常に励みになる。ペダルをこぐ足に力が入るというものだ(笑)。少し進むと…

おやっ!。またフェンスに囲まれた場所が出てきたぞ?。鳥井峠でもこの道でも、何度も見てきたこの構造物。さっきもあった。これの正体はわからないものの、これはホントに井戸なんじゃないだろうかって気がしてきた。今度も、もう少し近づいてじっくり見てみよう。

立ち入り禁止とはあるものの、他に何もこの構造物を説明するものはない。これも今まで見てきたものと、全く同じじゃないか。やっぱり井戸なのかなぁ。でも、道端にこんなに何カ所も井戸があるのも変じゃないか?っていう気もする。もしかするとこの地下に水路があって、その点検用の入口だろうか。これが何なのかは深追いせず、これは後々の課題と言うことにして先へ進もう。

なかなか風光明媚な・・・でもないか。でも、この風景は嫌いじゃない。休憩には非常に時間が早いが(さっき出発したばかり)、ペットボトルのお茶を飲みながら小休止。ここは暑い日差しが山側の木々で遮られて、非常に涼しい。山側からは小鳥のさえずりが聞こえ、ほとんど車の通りもないが故に静かな時間が流れている、非常に雰囲気の良い旧道だ。左側に見える川は鬼光頭川、ここで既に水面からは結構な高さがある。そして御多分に漏れず、ガードレールも何もない、いつもの風景だ(笑)

しばらく進むと旧道は鬼光頭川と離れていき、山中へと入っていく。もしかすると、ここで小さな峠を越えるのかな。ここは少し急な坂道、自転車のギアを変えて非常にゆっくりした速度で上がっていく。
ここまで車は一台もすれ違っておらず、辺りは静かなものだが、ちゃんと管理はされているようだ。この後、この旧道はどんな顔を見せてくれるのか非常に楽しみだけど、最初の地図でもわかるように、この先はまだまだ長い。しっかり観察しながら、のんびり進んでいこう。

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