一般国道49号旧道
宝川白坂区間
第8部
完結編

2019年7月24日 探索 2019年9月17日 公開

ここからは、この宝川白坂区間の完結編として、この区間の道筋について確認してみたい。
まず最初に、この区間は国道49号(旧2級国道115号)の道筋が、都合三回変わっていることだ。最初にご覧いただくのは、1934年(昭和9年)の地図。

この地図は、国土地理院発行の5万分1地形図 1934年(昭和9年)発行「野澤」を使用したものである。

左上に鳥井峠があり、右下に車峠がある。そう、この地図は見事に二つの峠の間を含めているのだが、中央下の川合集落から車峠の区間に注目である。163.49の水準点を過ぎた旧道は、左にカーブしてつづら折りを一回だけ越えて車峠を越え、267.12の水準点へ向かっている。そのあと「七曲り」とも言えるほど細かくカーブを繰り返し、下野尻集落へ入っていく。この道形を覚えておいていただきたい。

国土地理院撮影の空中写真(1967年撮影)

次にご覧いただくのは、1967年(昭和42年)9月29日撮影の車峠付近の航空写真である。最初の昭和9年の地図と比べて、国道の道形が全く変わっている。車峠自体も峠付近とその手前で山側へ大きく逃げる箇所が2カ所増え、右端にある下野尻集落側の道の七曲りも消え(細い道は微かに見えるが)、この付近の道が山側へ大きく迂回した後、車峠の現在の旧道へ繋がっている。白坂宿を出たところで左に向かって鬼光頭川を橋で渡り、アンダーパスで現道を越えて合流していた道の形も見える。川合集落を抜けた旧街道は、山側へ逃げる2カ所の中間あたりに繋がっているように見える。

国土地理院撮影の空中写真(1973年撮影)

1973年(昭和48年)10月30日撮影の画像である。そう、国道49号の一次改良が行われて、鳥井峠が旧道化した後の画像である。この画像では、白坂宿を通っていた道自体が旧道化し、現道の道筋が出来ている。車峠も旧道化して車トンネルが開通しており主役を譲った形だが、この時点では旧道はまだハッキリとその姿が見て取れる。また下野尻集落直前にあった街道時代の「七曲り」も、この画像でも消えているかのように見える。

このように、この鳥井峠から車峠までの間の道は3回変わっていることがわかった。その原因は、おそらく「車道化」ではなかったかと思う。つまり、七曲りの道は車道化するには不都合があって、それが出来なかったということだ。

現在、国道49号の旧道となっている道は、白坂宿を出たところで越後街道から分岐してアンダーパスを潜り、車峠旧道の入口へとつながっていた。ここから車峠へ進んでいくと、旧道は一旦山側へ迂回するものの、そのあと現道の直上を通る形でしばらく並走する。この並走する旧道の直線区間は現道が車トンネルに入るあたりで進路を変え、更に奥深く山中に入る道形をとっているが、現道が車トンネルに入る直前で、川谷集落を通ってきた旧越後街道が合流しているのが見えるだろうか。それがこの地点(ここ)だ。

と言うことは、この車峠の旧道とされる道は必ずしも旧越後街道に沿っているわけではなく、最初に越後街道が旧2級国道115号に指定されたあと、現道の一次改良が行われた昭和46年より以前に一度道筋が改良され、さらに一次改良で現道に切り替わったと思われる。このように、昔の国道は街道を基本に指定され、または造られたために、沿線にある集落をそれぞれ結ぶ形の道形となっていた。また、交通量も現代に比べると少なかったということもあっただろう。それから月日が流れ、今では国道は大きな都市を除いて集落から外れるようにバイパスが造られ、そこから枝葉のように集落へ向かって道が伸びて、交通を確保するようになってしまった。そして開通した当初の道は段々と往来が少なくなり、やがて廃道となり自然に戻ることになる。

通行する目的がなくなってしまったからには、道はその存在意義を失うということはわかってはいるものの、やはり幾何かの寂しさは感じる。せめて旧道として歴史を物語るために、何か残せないものか。また、第6部で紹介したあのスノーシェッド(ここから)は、やはり昭和56年から57年に工事が行われたものであり、旧道とは関連がないものと言うことがわかった。

この国道49号は昭和46年に一次改良工事が行われて現道の道筋になったものの、それ以前にも多くの改良があって、その結果として現在の道筋が確保されている。そこには多くの災害の教訓があったり、或いは災害が起こりそうな箇所をあらかじめ予想して改修したりと、多くの工事があったことだろう。それだけ、この越後街道が重要な道筋だったということに他ならない。そして今は国土交通省直轄国道として、多くの交通を通している。

また、今回は紹介することが出来なかったが、この中に登場してきた福島県側の車峠や新潟県側の惣座峠、また新潟県側の花立集落から始まるであろう旧道も、まだ完全には通行していないものの、途中までの現地調査は行っているので、機会があればまた紹介したいと思う。そして、それらの旧道は以前に紹介した、あの音無川右岸道へつながっている。
この道の様々な場所での探索で感じたことだが、この越後街道・国道49号が古くから多くの人々や荷車が行き交い、この道のあちこちに馬頭観音が造られて、近代の今でも大切にされている道であること。これはこの道の探索中にいつも感じていたし、感動した。越後街道と国道49号。その旧道の道筋には、過去の様子が色濃く残されている。
最後に、この旧道の風景の中で一番心に残った風景をもう一度見て終わりにしたい。
その風景は、この小坂橋。

一般国道49号旧道
宝川白坂区間

完結。