一般国道49号旧道
宝川白坂区間 第5部
旧道編

2019年7月24日 探索 2019年9月5日 公開

今回は旧越後街道の白坂宿を出たところから左に分岐する、国道49号の旧道を辿ってみよう。画像はその分岐点。ここは第3部越後街道編でも紹介したので、見覚えがある方も多いと思う。直進は鬼光頭川へ向かって一気に降りていき小坂橋を渡る、「あの」急坂だ。今回はここから左へ向かう。

分岐点から左に曲がると、道は山側へ一気に向かうかのように直線的に鬼光頭川を渡る。頭上を見ると、越後街道の時と同じくこちらにも電線が走っていて、左には携帯電話の基地局も見える。この道が元は主要な道筋であったことは間違いない。実はこの道は、昭和46年に開通した国道49号の一次改良の際に旧道となった道なのだ。
新規に山側を開削して道を作った宝川白坂区間、鳥井大橋で峠を迂回した鳥井峠、車トンネルで短縮した車峠などがこの改良の際に開通し、それまでの区間はいずれも旧道となっている。

橋を渡り終えると(橋の名前を見るのを忘れてしまった!)、そのあとに現れるのがこのアンダーパス。上に通っているのは現在の国道49号で、多くの車が行き交っている。また、このアンダーパスを渡り終えた左側に、水準点を見つけた。地理院地図で確認すると「178.5」の数値が記載されている。この水準点は、昭和9年の地形図に記載されていた、川谷集落の中心ともいえる場所にあった「古峰神社」の脇にあった水準点が移動したものと思う。おそらく国道の道筋が移動したために、水準点も動いたのだろう。

アンダーパスを抜けると、道はこのように大きくカーブして急勾配で現道へ向かう。この画像で、登り切ったところに平場が見えるが、この平場が現道の国道49号だ。現在の道筋に切り替わる際に、白坂宿へと向かう道として残されたこの道が、元の国道49号だった。改めて旧道を眺めると、このあたりなどは結構急な坂道だったりする。

坂を上り切って、左に見えている真っ直ぐな道が現在の国道49号。右に分かれてカーブしながら左に回り込んでいる道が旧道。辺りは緑が深く、この旧道も現道が開通するまでは、森の中を進む峠道だったことと思われる。今の姿からは想像できないが、現道がなく道の周りが森だったことを想像すると、非常に雰囲気の良い峠道だったのではないかと思われる。

登り切ったところに、バス停を見つけた。「町民バス」とあり、「白坂入口」とある。地域限定のコミュニティバスで、利用客の少ない路線をこうして走っているのだろう。こういった市民バスなるものは、新潟市内でもよく見かけていたりするので、なんとなくだが親近感を覚えた。でも、ここから白坂までは歩いても結構離れてるなぁと、若干ツッコミを入れながら少し先を見ると…

なんだ?あの道は?

バス停の先に何やら怪しげな道が続いている。道の雰囲気は林道っぽい雰囲気だが、いかにも「今通ってきた道と続いていますよ」と言った感じで、実にそそられるものがある(笑)。
それもそのはず、実はこの道は旧車峠へ向かう道で、地図上では今も通行できる道として国土地理院の地図に記載はある。ただ、記載はあっても通れない道も多かったりするので(三坂峠がいい例だ)、アテにならないこともあるのだ。地図を見てみよう。

左上に見える178.5の数値が見える水準点が、先ほど私が通ってきたアンダーパスの位置。そこを通過する2本実線の道が旧道で、アンダーパスを越えるとすぐに現道に合流している。と思ったら、合流したところから今度は1本の実線の道が山中に入っているが、これが今ほど見た「そそられる道」の車峠へ向かう旧道だ。ただ、この道も実際の旧道とは若干道筋が違ってきているようで、これは後ほど机上調査してみよう。

何となくだが、いろいろと謎が増えてきた気がするのは気のせいか。
今度はこの地点を直進するとどこに出るのか(あそこかな?と言う心当たりはあるが)、確認してみよう!。

第6部へ