一般国道49号旧道
宝川白坂区間 第6部
旧道編
2019年7月24日 探索 2019年9月9日 公開
この場所を覚えておられるだろうか。辺りは非常にのんびりとした景色が広がっていて、田圃の稲の緑が美しい。今まで道沿いに走っていた電柱は、ここから先は越後街道沿いに建てられており、越後街道と共に一直線に車峠へ向かっている。
今回は、この場所から直進したら、どこへ行くのか確認することにしよう。ここから右へ降りると、車トンネルの直前に出る越後街道だ。しかし、この画像を見ると越後街道の方が急坂で下って本来の高さに戻っているところを見ると、この付近は左の道が作られる際にかさ上げされたのかもしれない。
実は、最初にこの地点に来た時には、思わず直進してしまった。一見すると、左に行くこの道が越後街道かとも思ってしまったのだが…。その確認の意味も込めて、先へ進んでみよう。道幅は、ここはさほどでもないが、先へ行くと更に狭くなっているようだ。ここから見える道の左側には待避所も見えている。
上の画像で見えていた左カーブの先へ進むと、このような場所に出る。道幅はやはり狭くなり、車一台プラスアルファくらいの幅しかない。前方に待避所の標識が見えるが、先ほどあった分岐点のところの待避所と合わせて、ここで行き違いしようねと言うことなのだろう。上に架かる橋は現道の国道49号。空は非常に明るく眩しい青空で気温も上がって暑くなってきた。先ほどから休憩を取ってないので、この先の陸橋の下で少し休むとしよう。
探索中に熱中症にでもなろうものならシャレにならないので、陸橋の下でペットボトルのお茶を飲んでクールダウン。7月に訪れた鳥井峠の時も暑かったが、その時よりも格段に暑い。と言うか今年の夏は非常に暑く、それこそ暑すぎるために探索に出る際にも下準備をしっかりしておかないといけないのだが…。今日も暑いなぁと思いながら、これから進む先の方を見ると…。おっ!あれは隧道か?!。…にしては、隧道上の土被りが少ないと言うか、ほとんどないので隧道じゃないのかもしれない。
隧道(?)らしき穴へ行きたい衝動を少しだけ抑え(笑)、休憩中に辺りを見回してみる。今、私がいる場所はこのような場所だ。上には現道の国道49号が通っていて、路面の騒音が響いていたりして結構賑やかだったりする。この道も国道49号の旧道なのかと思ったが、それにしては、う~ん…何となく違和感を覚えた。休憩して体力も回復したし、いよいよあの穴(隧道)へ向かおう。
隧道らしき入口の左端を見ると銘板があった!。早速確認すると、この穴はやはり隧道にあらず、スノーシェルターだった。縄木山と言うのはこの付近の山の名前だろうか。竣功は昭和57年12月。と言うことは、国道49号の一次改良が終わってから11年後のことだから旧道ではなさそうで、昭和56年度の施工と昭和57年度の施工業者が違うようだが、この道は2年越しで工事が行われたようだ。
スノーシェッドに入るといきなり左カーブになっていて、道は180度方向を変えて回って出てきたのがここだ。この道は現道の国道49号で、すぐ近くに見える橋があの陸橋。名前を白川橋と言うようで、ここから真っ直ぐ向こう側へ走ると車トンネル、手前が鳥井峠方向になる。橋の手前には案内表示板があって、「川谷 熊沢」とある。ここが川谷集落の入口になっているようだ。
この道から国道49号に出る角に、このような表示板があった。見ると「白川橋小型表示板」とある。撮影時は消えていたが、冬場には白川橋や現道に関する情報が表示されるのかな。管理は国土交通省東北地方整備局郡山国道事務所らしい。随分広い地域を管轄しているものだ。確か、南会津郡の国道289号甲子道路も郡山国道事務所ではなかったか。
この道に関しての詳しい調査は(もうほとんどわかっている気はするが)最後の調査編で行うとして、実は私はこの後、越後街道編で私が最初に立ったこの地点へ向かった。ここから反対側へ進むと宝川集落がある。国道49号旧道はこの先、宝川集落を通って県道と交差して現道へ合流したあと、そのすぐ先で今度は反対側に分岐していた。この反対側へ分岐する道がこの地点。
そう、鳥井峠への入口の地点である。
次は集落の中の探索となる。越後街道、国道49号に関連する遺構は残されているだろうか。