一般国道113号
朝篠トンネル旧道

第3部

2020年5月2日 探索・2020年11月26日 公開

と言うことで、前回は不動沢橋の面影や旧道の道幅をよく残した旧道の路盤などで、おおいに楽しませてくれた不動沢橋。離れるのは何となく名残惜しいが、旧道の探索を進めなければならないという変な義務感で不動沢橋から離れることにした。しかし、ここから見ていると不動沢橋にアプローチしていた旧道の道幅と、この辺の道の幅がほとんど同じような気がする。この道が不動沢橋が架け替えられることなく、今も旧道のまま残っていたら…。
こんなに真っすぐな道筋じゃなかっただろう。旧不動沢橋とそのアプローチの道が、今から見ると実に妙な線形になっているのか理由は不明だが、そう考えると実に面白い。これがあるから旧道探索は止められない(笑)

では、これから進む進行方向を見てみよう(笑)。
この部分だけ木々に囲まれて薄暗いが、旧道の雰囲気は満載だ。何よりも、ここに電柱があるのが旧道であるということを如実に物語っている。こうした電線は、その昔は主要な道沿いに施設されることが多かった。それは電力会社が独自のルートで電力線を施設するよりも、こうした道路沿いに施設する方が管理も楽だからで、こうした電力線が施設された道で、今は旧道となっているところは結構多い。
国道8号赤田トンネル旧道の曾地峠や、国道459号の当麻トンネル旧道、またここから近いところでは辯當澤橋などがある。ところで、道幅は今までとさほど変わらないが、何気なく右側の法面を見てみると、いかにも「山の斜面を切り開いて、そこに道を無理やり通しました」と言う角度になっている。道が開かれる前は、右の斜面が左の路肩に続いていたことがよくわかる。
また、この画像では道の勾配が掴みにくいと思うが、結構な急勾配で峠でも目指すかのごとく上り坂になっている。自転車のギアを1~2段下げて、ゆっくりと上がっていかないと、息が上がってしまう。

路面を見てみると案の定、どこかで見たような施設物を見つけた。これは…やはり辯當澤橋で見かけたものと同じで、電力線が地下に埋められているようだ。蓋をよく見てみると、電力会社のマークが見える。やはりこの旧道沿いに、なにがしかの電力線に関係しているものが埋められているようだ。



横川沿いに走る、明るい風景の道に出た。風光明媚な風景が広がる、実に明るい雰囲気の旧道だ。この横川沿いに進む旧道は綱取橋旧橋調査編で書いたように、1884年(明治17年)に開通した由緒ある区間だ。そう思うと実に感慨深い。路肩にあるガードレールは雪の影響なのか、酷く曲がってしまっており、改めて雪の力と言うのは凄まじいものと言うことを思い知らせてくれる。
チェンジ後の画像は、そばを流れる横川に焦点を当てて撮影したものだ。旧道と横川の落差が一目で見ておわかり頂けると思う。だが、羽越水害(1967年(昭和42年)8月26日から8月29日にかけて発生した集中豪雨で発生した水害のことで、羽越水害と呼ばれるほか、被災地域では8・28水害など日付を冠して呼ばれることもある)の際は、この道の路面付近まで水面が上がったのかもしれない。

旧道沿いを流れる横川と、対岸にある朝篠集落の眺めだ。色鮮やかな新緑が眩しく、緑に囲まれているため、ここからは対岸にある人家等は確認できないが、地図上では建造物がいくつかあることになっている。ここまでずっと上り坂を上がってきたので、ここで少し小休止。来る途中のコンビニで購入したペットボトルの水を一口含むと、一気にクールダウン。5分ほど小休止したのち、また探索再開だ。

休憩途中、横川を眺めながらそのまま来た方向を振り返ると、橋が2本見えた。手前の橋は米坂線の橋で、奥は現道の橋だ。山々の間を縫うように流れている横川の流れと、雄大は自然の風景が広がるなかなか見事な景色ではないかと思う。ところで不動沢橋から上がってきた旧道は、この地点で既に川の水面からかなりの高い場所を通るようになっていて、地形に沿って進んでいくような旧道ならではの道の通し方をしている(今なら橋とトンネルで一気に貫くだろう。そうして出来たのが現道だが)。

…さて、身体もクールダウンしたことだし、まだまだ先は長い。行くとするか。

出発!

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