一般国道113号
朝篠トンネル旧道

第6部

2020年5月2日 探索・2020年12月8日 公開

低いガードレールだなぁ!

平地なので自転車で苦労することもなく、のんびりと少し先へ進むと、元々の道の路盤に戻ったようだ。左側の路肩にある錆びたガードレールはどこの旧道でも見かけるアイテムだが、錆ついたレールと新しいガードレールエンド(ホントにこういう名称なのかはしらないが、とりあえず私はこう呼んでいる)の組み合わせはあまり見ない。それに、ガードレールの高さ(と言うのだろうか)が妙に低い。おそらくは路面を改修した際にそのままにしたのだろうが、実に珍妙な雰囲気満載だ(笑)。先に見える右側の青い構造物は、旧道の右側に流れていた水路の水門で、必要に応じて開閉すると思われる。

これは間違いなく、旧道の路盤そのものだろう。これまでの道になんとなく漂っていた「新しさ」の雰囲気が消え、山の稜線に沿って進むような道形が復活してきた。そういえば、前回の休憩地点から結構進んできた。5月にしては暖かい陽気で熱中症にならないように水分補給をすることにする。右側に見えるガードレールが外れたまま佇んでいる支柱がある、少し広くなった場所に自転車を停めて、目の前に見えるガードレールを眺めながら「傷み具合がいいじゃないか(笑)」などと思いつつ、コンビニで買ってきた水に持参した塩を少し足して飲んでいる私だ(←変なヤツ)。
…などと戯れていると、それまで暑さでややぼんやりしていた頭がだいぶスッキリしてきた。
出発することにしよう。

休憩を終えて、出発!…とは言っても急ぐ旅でもないので、またの~んびりと進んでいると前方に橋が現れた。右側に寄り添うように進んでいた水路はいつの間にかその姿を隠してしまったが、地図上ではこの道の間際を寄り添うようにずっと松岡の集落まで進んでいるので、この旧道が拡幅された際に道の下に埋め込まれたのかもしれない。

路面に大きなグレーチング(路面のアミアミ(笑))が見える。これは地下を流れる水路の点検用フタも兼ねているようで、水路はやっぱり路面の下だ。ここまでこの旧道を通ってきたが、不動沢橋からここまで、すれ違う車は一台もなかった。それほど通行する車もいないこの旧道が今でも残されている理由はいくつかあるだろうが、その一つはこの水路かもしれない。

橋の袂までやってきた。遠くから見ているとそんなに古い橋でもないように見ていたが、近くまで来るとこれはこれでなかなかそそられるものが(笑)。特に、現代の橋ではまず見かけられない、コンクリートの柱に鉄棒を二本通しただけの、簡素な造りでしかも低めの欄干。ありきたりの桁橋だが、細めの橋脚もなかなか(←なにが(笑))。
ありがたく、じっくり観察することにしよう。



親柱の銘板を見てみる。旧道側左の親柱の銘板だ。貫禄のある文字で「朝篠橋」とある。この「朝篠」は、この橋で横川を渡ったところにある集落の名前で、現道のトンネルの名前にもなった名前だ。米坂線は小国方向から来ると松岡集落にある羽前松岡駅の先で横川を渡り、正面の山を避けるようにして左にカーブ、この朝篠集落を通って蛇行する横川を3度渡り、大石の集落へと向かっている。
チェンジ後の画像は旧道側右の親柱の銘板で、この「朝篠橋」が跨いでいる川の名称「横川」が刻まれている。この旧道側左右の親柱と銘板を見ると、旧道側の路面の高さに合わせて親柱付近が若干嵩上げされているようで、それが欄干を低く見せているようにも見える。実際には、この年代の橋の標準的な高さかなぁという気もしてきた。その朝篠橋からみた横川の流れは…

決して小さくもなく浅い川でもないのに川底が見えるような横川の清流と、左の山々にへばりつくように進んでいる旧道、対して右の朝篠集落の広く明るい耕作地帯を眺めていると、旧道を通る昔の景色が浮かんでくるようだ。でも途中の道の幅からすると、そんなに大きな車は通れなかった。おそらくは綱取橋旧橋の付近のような道(小国町のWEBへ飛びます)ではなかったか。そんな気がする。



橋を渡り、朝篠集落側右の親柱を見てみると、ひらがな標記の橋名板が刻まれていた。旧道側と同じように、立派なものだ。チェンジ後の画像は朝篠集落側左の親柱で、その銘板には竣工年月が刻まれていたが、「昭和45年9月完成」とあった。完成という表現もあまり見られないが(普通は「竣工」とか「竣功」が多い)、もしかすると、幾度か改修を受けた中で銘板が付け替えられたのかもしれない。


朝篠橋を一通り眺めて、いろいろ資料的に撮影したところで、旧道に戻って松岡集落を目指そう。ここから、今回の探索の終点の松岡集落まではそんなに距離はないはずだ。
ここでねぇ…「山形縣」の標柱でも現れたら嬉しいんだけどねぇ(笑)

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