一般国道8号
赤田トンネル旧道
曾地峠

2020年8月13日 探索・2020年8月26日 公開

一般国道8号は、新潟県新潟市中央区本町の本町(ほんちょう)交差点から、琵琶湖湖畔の都市である滋賀県栗東市を経由して、京都府京都市下京区烏丸五条交差点に至る一般国道で、その総延長は実に602キロ。
新潟市から日本海沿いに北陸地方を縦断して滋賀・京都に至る幹線国道として今さら詳しく説明する必要がないほどの道であり、その一桁の国道番号が示す通り旧街道を源とする。この国道8号で旧道と言うと新潟県糸魚川市の親不知旧道が有名だが、今回訪れるのはそこではないし、その付近でもない。今回訪れるのはもっと地味で、それでいて別のある峠と因縁が深い旧道なのだ。

新潟県刈羽郡刈羽村。海側は新潟県柏崎市、山側は新潟県長岡市と境を接していて、現在も刈羽郡に属する唯一の自治体である。特にこの曾地峠と接している刈羽村の油田(あぶらでん)地区は飛地の地域であり、周囲を長岡市と柏崎市に囲まれた地域だ。私は国道8号をその刈羽村油田地区の方向からやってきて、現道の赤田トンネルを一旦通り過ぎてすぐの右側にある広い休憩場所を、今回の探索のベースとした。ここならしばらくクルマを止めていても大丈夫だろう。折りたたんでいる愛車の自転車を下ろして、組み立てにかかる。
では、ここで地図を見てみよう。お馴染み、国土地理院の地図である。

国土地理院の電子地形図(タイル)を掲載

画像右側が刈羽村側、左側が柏崎市側だ。そう、私がこれから紹介しようとしているのは、新潟県一般県道393号沖見峠トンネル旧道のレポートの中でも頻繁に登場してきた、あの曾地峠である。
この旧道は結構いろんなサイトで紹介されてはいるものの、そのほとんどはこの合流地点までで、この先はなかった。実は曾地峠はトンネルを出て現道に合流してからも先がある。地図上で「曾地峠」と記載がある旧道が現道に合流した地点の反対側に、同じ角度で分岐する二重線の道が見えるが、これも曾地峠の旧道で、この道は現道をトンネル(おそらくボックスカルバートか、コルゲートチューブか)でくぐり、ため池の脇から現道と田圃の間を抜けて曾地の集落の中を進み、黄色で表示してある県道を横断して、その先で現道に合流している。
この区間は地図上で等高線を見てもわかる通り、旧道は谷間に広がった田園の脇を進んでいる。おそらくだが、その昔はこの道から遠く日本海が見えたはずで(実際に今でも天気が良ければ見えそうだった)、明治天皇もここから日本海を眺めたのかもしれない。

地図上でここまでを事前調査として調べて、その旧道の風景を思い浮かべながら天候を伺い、探索の日を待った。そして8月の13日。お盆の入りであるにも関わらず、私はその広い休憩場所にいた。そう、この曾地峠を探索するためだ。
今年の夏は特に暑い。曾地峠の本体とも言える赤田トンネルの旧道区間から先の区間はともかく、峠本体の区間は山の中へ突っ込み、もしかするヤブとの格闘になるかもしれない。そんな予感を感じつつ、旧道の入口に私は立つ。

左に見える坑口が現道の赤田トンネルの柏崎側坑口で、いかにも「この道は旧道ですよ」と言う感じで右側に分岐して山の中へ突っ込んでいるのが曾地峠の本体である旧道だ。この道の配置を見る限り旧道は等高線通りに進んで、橋で沢を越えることもなく、素直に長岡を目指して進んでいた。

旧道に入っていくと右側に看板があって、この道を通行しようとする者に警告を与えている。
「この先車両は通り抜けできません」。「車両は」ということは、徒歩か自転車なら通行できるということではないか?。勝手に屁理屈をつけて進んでいくが、先に見えるバリケードらしきものに少し怖気づく。しかし、あのバリケードは車に対するものであって、徒歩や自転車に対するものではなさそうだ。少し気が楽になる。

それまで著名な存在だった沖見峠を、明治天皇の北陸御巡幸を機に沖見峠と取って代わった曾地峠は、いったいどんな峠だったのか。今の時代に何を見せてくれるのか、非常に楽しみだ。

さぁ、行こう!

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