新潟県一般県道393号
礼拝長岡線
沖見峠トンネル旧道

2020年5月23日 探索・2020年7月9日 公開

新潟県一般県道393号は、長岡市田代の国道8号交点から刈羽郡刈羽村油田、柏崎市(旧西山町)妙法寺を通って柏崎市(旧西山町)礼拝(らいはい)の国道116号交点に接続する、全長13.6キロの一般県道である。

この道筋は関東から三国峠を越えて長岡城下に入り、そこから更に北国街道の柏崎宿に向かう際に使われた道で、古くは長岡街道と呼ばれ、この油田と妙法寺の間にある峠道を通る際に、ここで初めて日本海が眺めることが出来たことから「沖見峠」と呼ばれるようになった。かの良寛も「霞たつ沖見嶺(とうげ)の岩つつじ誰おりそめしからにしきかも」という歌を残している由緒正しい峠でもある。

この峠は別名「妙法寺峠」とも呼ばれ、江戸時代まではこの沖見峠(妙法寺峠)は前述の通り長岡街道の重要な峠だったが、1878年(明治11年)の明治天皇の北陸巡幸の際に、この沖見峠の道幅があまりにも狭くて通行が困難なために、お隣の曾地峠が急遽開削されることになった経緯がある。
これ以降、主要な峠道としての立場が曾地峠に奪われてしまい、国道8号のルートを決定する際も曾地峠が選定された。それ以降も、この妙法寺~油田間の沖見峠は軽トラックが一台通れるかどうかと言う非常に狭い道で残されていたため、この沖見峠を含む長岡街道が県道として認定されても、この区間は未開通扱いとなっていたのである(但し、沖見峠の区間の路肩に設置されているデリネータには「新潟県」の文字が見えるので、県道として管理はされていたようだ)。

その後、この沖見峠(妙法寺峠)はまず妙法寺側で改良工事が行われるようになり、1993年(平成5年)からは峠の未開通扱い(実際は非常に狭路)となっていた部分の道路を新設するべく工事が始まる。この工事で開通したのが現在の沖見峠トンネルと前後の道路だが、沖見峠トンネルが貫くところは以前は西山油田と呼ばれた油田のど真ん中で、その中を掘り進めたトンネル掘削には多大な作業が必要だった。

余談だが、この旧西山町妙法寺と刈羽村油田の間の西山油田に対して東山油田と呼ばれるのが、長岡市浦瀬と旧栃尾市比礼の間の榎峠の付近である。この他にも当時の日本の四大油田として、現在は新潟市秋葉区の新津油田、新潟県三島郡出雲崎町の尼瀬油田があるが、当WEBではこの全ての油田に関係する旧道を紹介している。

(東山油田=榎峠・比礼隧道、新津油田=熊沢隧道、尼瀬油田=稲川隧道

ルート上にあった約20本の旧石油井戸を埋め戻したのを始め、トンネルの掘削中に石油が出たり、可燃性のガス(天然ガス)が発生するなどして工事は難航した。この状況は榎峠の新榎トンネルとよく似ているのではないかと思う。おそらくだが、新榎トンネルを掘削した際の技術と経験が生かされたのではないだろうか(新榎トンネルは全長2293.5メートル、幅員8.5メートルで、1976年(昭和51年)に栃尾側、翌1977年(昭和52年)には長岡側で着工、1988年(昭和63年)に完成。工期は実に13年)。爆発事故を防ぐため特殊な機械を製作して作業を進め、1996年(平成8年)に先進導坑が貫通。2000年12月27日に供用開始となった。総事業費は65億円、うちトンネル工事が54億円という大掛かりな工事の末に、現在の県道の姿が出来上がる。
では、ここで地図を見てみよう。おなじみ、国土地理院の電子地形図である。

国土地理院の電子地形図(タイル)に注釈を追記して掲載

このように、旧道は途中まで山中の勾配に沿って進み、最後は等高線に対して直角に挑む形で沖見峠(地図上では妙法寺峠)に到達するが、現道は妙法寺の集落から旧道と踵を返して反対側に進み、最後は沖見峠トンネルでぶち抜いている。地図上で見た限りでは、旧道も峠付近で隧道があってもおかしくない印象なのだが、事前調査では隧道があるという情報は全くなく、等高線から想像すると、かなりの急勾配で峠に到達すると思われた。

今回探索するのは、もちろん旧道の区間である。
探索時には西山町側から車で入って、沖見峠の手前にある「献上場(おんじょうば)」と呼ばれる、その昔燃土・燃水を採取していたという史跡の駐車場をベースにして探索を行った。この為、スタートはこの献上場から始まり、献上場に終わるという変則的なレポートになるが、どうか御了承頂きたい。

それでは、ご案内しよう。
長岡街道の峠道、沖見峠へ!

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