新潟県出雲崎町道
尼瀬稲川線 稲川隧道

2018年12月24日 探索

2018年も終わりに近づき、年末の慌ただしさが追い込みに入ってくる、年内残り少ない日曜日。普通ならば年末の準備で忙しい時期なのだが、今年の私は一味も二味も違う。さて、私はどこにいるのか?。
実は私は廃隧道探索で、新潟県三島郡出雲崎町にいた。二日前には新潟県村上市山北で廃隧道を追いかけていたというのに、である(笑)。世間はクリスマスの準備で忙しい中、のんびりと(とは言うものの、日が短いこの時期は、そう悠長なことも言ってられないが)村上市の笹川流れ狭路隧道群を補完取材で回っていたのだが、そんな中で友人から何気なくもたらされた、廃隧道かもしれない情報の真偽を確かめるのが目的だった。


…それは、幼いころに何度も通った隧道。
とても暗くて天井から水がしたたり落ちて、すごく怖かった隧道。親と通るときは、いつもおんぶされて通ってた。そのころから廃れていたような気がするんだけど、少し大きくなった小学生になって、行けるかな?と思って、また行こうとした隧道。でも見つけられなくて、結局怖くて行くのを諦めてしまった。


幼い日の記憶の中に、一本の隧道がこれだけ印象深く残っているのも珍しい。それはどんな隧道だったんだろう?。今はどうなっているんだろう?。この疑問が私を動かした。国道でもない、県道でもない、市町村道。
現在でも残っている資料が限りなく少ないことが予想される。その隧道が今も残されているのか、残っているのかさえもわからない、調査するのに至難の隧道。それでも、どんな理由であれ山に大穴を開けるのだから、何かの記録に残らないはずがない。どこかに必ず記録が残っているはず。そして、その記録を探し出すことが出来れば、必ずこの隧道の今の姿を探し出せる。

友人の幼い日の記憶を今に繋げるために、記憶の底に僅かに残っていた隧道の面影を探して、たった一枚だけ現在に残された画像を元に、思い出の隧道を探し出す探索が始まる!。

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