新潟県出雲崎町道
尼瀬稲川線 稲川隧道
第1部

2018年12月24日 探索・2018年12月25日 公開

2018年12月22日。その日は、暦の上では真冬と言ってもいい時期なのに暖かく、天気もそこそこに良かった。そこで私は「これはチャンス!」とばかりに、年末の忙しい中にも関わらず、書いているレポートの補完と情報の補足・補充を目的に、国道345号の笹川流れ狭路隧道群の探索に「いそいそ」と出かけていた。
その探索の途中で友人からメールを貰ったのだが、そのやり取りの中に気になる情報を見つけたのが、この隧道を捜索するきっかけだった。その内容は以下のようなものだった。


「そういえば、私の実家の山奥みたいなとこに、何故こんなとこにトンネルがあるんだろうと言うような放置されたふるーいトンネルがあって、家族と一緒によくそこをくぐって出かけていたのを思い出します。行った先にヤギがいて喜んでた…」


私は、このサイトの更新情報など知人や友人に知らせるために、LINEのタイムラインに情報をアップしているが、この友人はそれをずっと見てくれていたのだった。そして、私の旧道や隧道などのレポートを見ているうちに「そういえば…」と、記憶の奥底からこの隧道のことを引っ張り出してきてくれたのである。もちろん、この話に私が激しく反応したのは言うまでもない。そこで、何か情報はないかと聞いてみたところ、一枚の画像が送られてきた。その画像がこれである。

提供者画像使用許諾済(画像は中央部に存在した人物消去のため、提供者によって一部加工されています)

この画像が撮影されたのは昭和50年代前半とのこと。その割にはなんと雰囲気のある、いい隧道ではないか!。これはいい!。
探索途中の私は、ちょうど国道345号の新鵜泊トンネルに到着したところで、道の脇にある空き地に車を停めていたので、持ち歩いているPCでさっそく画像を補正してみた。その補正した画像がこれである。

補正した画像で題額(だいがく)(またの名を扁額(へんがく)。この意味は間瀬隧道前編を参照。以下扁額と言う)を見てみると「稲〇隧道」と見える。これと、この画像が撮影された昭和50年代前半と言うことをきっかけとして、机上調査から先に進めることにした。

まずは提供者の友人に詳しく聞いたり、キーワードをネットで検索したところ、この扁額の文字は「稲川」だろうということがわかってきた。そこに友人の出身地、新潟県三島郡出雲崎町と言うことを掛け合わせると、この隧道は出雲崎町にある「稲川」という地にある隧道だろうと推察した。これで場所がほぼ特定されたと言っていいだろう。

次に、友人から提供された画像を更に詳しく注意深く見ていくと、扁額の文字が右から左に書かれていることに気づいた。このことから、竣功はおそらく昭和10年代から遅くとも20年代前半とみた(この理由は後述する)。坑門に迫石はなく、スパンドレルも無いように見えるが、よく見ると規則的な横線が見える。
扁額の下をよく見てみると、左右同じ位置にクラックが入っていることから、迫石が埋められた跡なのかもしれない。そうすると、最初は迫石やスパンドレルはあったが、コンクリートで埋められたと考える方が妥当だろう。竣功してから何回か改修を受けている姿と言うことが考えられる。
隧道の奥には反対側の坑口と見られる明かりが見えるが、その明かりが若干変形していることから、隧道の中央か、その付近の部分を頂点として両勾配になっている拝み勾配の隧道で、内部が左に向かって若干カーブしていること、また撮影された坑口の道の角度から、隧道に進入する道は左カーブで隧道にアプローチしていることが画像を見てわかった。

そうなると、今度は地形図の出番である。しかし、最新の地形図なら県立図書館で手に入るのだが、旧版地形図となると国立国会図書館に遠隔複写を依頼しなければならない(国土地理院の抄本でもいいのだが、コピーではなく「抄本」なので、それなりに費用がかかるのだ)。それが手元に届くには少なくとも1週間はかかる。年末年始も近いことから遠隔複写を依頼はするものの、地形図での比較対象は後にして、まずはおなじみ日本全国トンネルリストを調べてみた。
すると、3ページ目にそれらしき隧道が見える。「イナガワトンネル」延長161mのトンネルである。しかし名前がおかしい。画像にあった隧道の名前は「稲川隧道(イナガワズイドウ)」。
う~ん、稲川トンネルとは別物なんだろうか?。そこで「稲川トンネル」をネットで検索してみると、道路の名称が明らかになった。

出雲崎町道 尼瀬稲川線

これがわかっただけでも、やや進歩した。
しかし、今のところ判明しているのは「稲川隧道」「稲川トンネル」「町道 尼瀬稲川線」だけである。私が頭を抱え始めたころ、友人から新たな情報がもたらされた。友人がお父さんに聞いてくれたのである。その内容は要約すると以下のような内容であった。


「稲川にあれの代わりの新しいトンネルが出来たけど、別な場所だと思うけどよくわからない」
「残ってたとしても柵がしてあるか、怖くていけないような状態だろう」
「山なので熊も出るし、夏に行ったら草だらけだし、それこそ何が出てくるかわからない」
「今のトンネルが稲川隧道の場所に掘り直したか、新たな別な場所なのかも定かではない」
「昔は海沿いの方が栄えてて、あのトンネルを通って山の方の人は買い物に来ていた」
「海沿いで花市があってそれに来たり、時計屋さんとかに来てたのは覚えている」
「あの写真の頃から、天井から水が滴って大人でも通らないような怖いトンネルだった」


そして、これが一番気になったのだが…

2007年の中越沖地震で、出雲崎町も被災地で、
稲川あたりが一番被害があった

おいおい…まさか、この隧道…
圧壊してないだろうね?!

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