新潟県主要地方道55号
新潟五泉間瀬線旧道
間瀬隧道 前編



2018年11月3日 探索・2018年11月10日 公開
2019年10月22日 加筆修正


私は、間瀬側からやってきて、弥彦山スカイラインとの分岐点にいる。
画像がやや暗いのは、この画像が探索後に撮影したものだからである。どうも目の前に探索対象があると、入口の画像を撮り忘れてしまう困ったクセがあるようで、今回もいかんなく発揮されてしまった。ご容赦願いたい。
さすがと言うべきか、人一人通れる道がある。間瀬隧道は先に書いた通り、地元でも有名な心霊スポットとして紹介されているのだが、私はそんなことは一向に感じず、隧道を目指して歩いていく。先に見えるカーブを過ぎると隧道はすぐにあるはずだ。ちなみにこの時はトレッキングシューズを履いていた。足取りも軽く進んでいくと…


おおっ!

山中で思わず感嘆の声を上げてしまった。間瀬隧道の間瀬側坑門とご対面である。旧道に入って1分もかからずに雰囲気と言い風格と言い、こんな素晴らしい隧道に会えるとは。もっと早く来ればよかったと言うのが正直な感想だ。この隧道は非常に美しい。早速入洞…と行きたいところだが、お楽しみは後に取っておいて、まずは観察してみよう。


間瀬側坑門の左擁壁。ん~、これは惚れ惚れするくらい見事な石組で出来た擁壁である。しかも旧道化してからかなりの時間が経過しているにも関わらず、この状態の良さはなんだろう?。よほどしっかり組み上げてあるのだろう。続いて…


間瀬側坑門の右側擁壁。ん~、いいねぇ!光と影のコントラストが非常に美しい。擁壁が緑に覆われているが、その覆われているバランスが非常に良く、石垣もちゃんと見えているのが良い。


正面からもう一度。1933年(昭和8年)生まれだけあって重厚な作りであり、それに負けないくらい立派な坑門である。アーチの迫石(せりいし)が素晴らしい。それに、これは迫石を除いた他の部分はレンガだろうか?色褪せているが、そんな気がする。その迫力に、しばし立ち尽くして見入ってしまった。扁額(へんがく。隧道の名称を記してある隧道上部に付けられる額。題額とも言う)を見てみよう。


右から左に「間瀬隧道」。立派な扁額である。歴史を感じさせる扁額と共に坑門を支える、迫石の周りのスパンドレル(坑門、迫石と共に隧道の入口を支える壁のこと)は、やはりレンガ造りであろう。画像では扁額と共に迫石の中心にある、一つだけ大きいキーストーンがはっきりと見えているのにお気づきだろうか。さて、ひとしきり坑門の付近を徘徊して隧道の外観を存分に堪能したところで、入洞するとしよう(←やっとかい(笑))


いよいよ入ろうとして坑門左側の内側を見ると、壁面からの出水だろうか。坑門直後の壁が剥離していて、相当傷んでいる。右側の壁も見てみよう。


右側も結構傷んでいる。と言うか、迫石直後の隧道全体が傷んでいる感じである。この辺は出水の影響だろう。国土地理院の地図に掲載されていないと言うことは道路法上の道路から抹消されていると言うことなので、おそらく管理も何もされていないだろう。これだけの隧道を、実にもったいないとと思うのは私だけだろうか。



坑門を過ぎると、中はこの通り。傷んではいるものの乾燥している。しかしこの後、この隧道は私に対して試練を突き付けて来たのだった。これに対して、いやな予感はしていた。ヘッドライトの明りを頼りに進む私は、遠くに見える自らが歩く先の床が、妙に輝いて見えていたからだ。水没まではいかなくても、水たまりがあるとか…。まぁいい。行ってみよう。そう思って先に進むと…


…なるほど。一筋縄では通さないぞ、ということか。では仕方ない、撤収することにしよう…とはいかないのが今回の私だ。一度車に戻り、5分後には隧道内の同じ場所に立っていた。あるアイテムを身に着けて。そのアイテムとは…


これである(笑)

車に戻り、履き替えてきた長靴。これがあれば、水が多少溜まっていようが平気である。おまけにいつも愛用している革製の手袋も手に入れた。
「間瀬隧道、残念だったな。遠慮なく通させてもらうよ」と呟きながら通る私がいた。
呟いた声が隧道内にわずかに響く。ハタから見れば危ないヤツである(笑)。
さて、安心して遠慮なく進んでいくことにしよう。


岩室側坑口を出ると、間瀬側坑口とは打って変わって森の中の廃道の雰囲気満載の景色が待っていた。足元は落ち葉が水に濡れてフワフワの感触だが、ぬかるむというほどではなく、しっかりと歩ける。これは路面がアスファルトで舗装されているからだろうか。
道幅はやや狭く、普通車がやっとすれ違えるほどである。これでは幅の広い現代の車はすれ違えない。おまけに画像では隠れて見えないが路面の両側に側溝があり、その分車道の幅が短い。ギリギリまで車を寄せれば落輪すること請け合いである。何となくだが、新道に切り替えられた理由が理解できた気がした。


振り返って、岩室側坑口を撮影してみた。水たまりの深さはさほどでもないが、長靴でないと辛い深さではある。向こうに間瀬側坑口の光が見える。貫通している隧道で、しかも通行できるって言うのは、実にいいものである(笑)


こうして少し離れて見てみると、間瀬隧道は岩室側坑口で急カーブを描いて隧道に進入していることがわかる。この道が現役だった頃は、車はここで必ず減速していたはずで、それだけでも渋滞の原因になったことだろう。また隧道自体の高さも幅も小さいので大型車が通れず、もしかすると現代の消防車では通行しようとすると接触したかもしれない。だから新道が作られたのか。


左右の切り通しを進む旧道。こうしてみると、やはり路面の狭さは否めない。周りは深い森の中である。ここから見る景色も、現道だった頃とおそらくあまり変わらない景色だろう。今の道路の規格からすると確かに狭いが、ここは旧道。やっぱりこの位の幅が良いし、見事な切通しだ。


う~ん!。やはり森の中を一直線に進む旧道ってのはいいもんである。これで倒木がなければ最高だったが、自然はそうもいかない。草が生い茂る路面は枯葉と水分でフワフワで、水がしっかり枯葉に浸み込んでおり、体重をかけただけで水が染み出る。やはり長靴は履いてきてよかった。トレッキングシューズだと悲惨なことになっていたことだろう。長靴バンザイである。そして、更に先に進むと…


なんだか、だんだん藪が深くなってくるのは気のせいか。間瀬隧道は、私にどうしてもこの道を完抜させたくないらしい。しかし私はこの道を往復で通ろうと思っている。私には長靴と手袋と言う、非常に心強いアイテムがあるのだっ…とつぶやく私がそこにいた。ま、こうしてブツブツ言っていることも、少なくともクマよけにはなるだろう(笑)


更に先に進むと、道を覆っていた草が少なくなって路面が見えるほどになってくる。というか、覆っている草の背丈が低くなった感じだ。画像の地点では、もうほとんど高さはなく不通に歩ける感じだ…と思いながら進んでいると倒木!。おっ!これが最後の抵抗か?!あの先のカーブを曲がればきっと…出口に出るかっ?!


更に道は歩きやすくなって、路面には自動車が入ったであろうダブルトラックの跡も見えてくる。道は相変わらずぬかるんでいるので長靴じゃないと歩きにくいが、それでも先ほどよりは天国と地獄の差だ。なだらかな切通しを抜けながら歩いていくと、前方が明るくなってくる。おおっ!いい感じだぞっ!あの先の明るさは…!


おおっ、岩室側出口だっ!完抜したぞっ!。と感激しながら辺りを改めて眺めてみると、林の中を直進して進む旧道の方が道として美しい気がする…のは、旧道好きの欲目だろうか。ひとしきり、この付近を撮りまくったあと、私はもう一度戻るために旧道へ歩き出した。行きと帰りでは道の見え方が違う。この旧道が帰りはどんな顔を見せてくれるか楽しみだ。

さぁ、もう一回通ろう!



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