新潟県主要地方道55号
新潟五泉間瀬線旧道
間瀬隧道

2018年11月3日 探索・2018年11月10日 公開
2019年10月22日 加筆修正

新潟県一般県道561号弥彦岩室線。これが弥彦山スカイラインの正式名称である。
昭和45年に開通した弥彦山スカイラインは間瀬側で主要地方道55号から分岐しているが、この間瀬側入口のすぐ近くの山中に隧道が口を開けているのをご存知の方は多いと思う。ここは心霊スポットとしても有名なのだそうだ。だが、この隧道も以前は多くの人や車を通し、冬は雪とも戦っていた立派な隧道なのだ。その隧道は名前を「間瀬隧道」と言う。
新潟市在住の私は、正直に言うとこの隧道は存在は知っていたが、なかなか会いに行く機会がなかった。近くほどなかなか行かない…まさしくその通りだったが、念願叶って…と言うわけだ。それでは、間瀬隧道がどこにあるのか、まずは地図を御覧頂こう。

国土地理院の電子地形図(タイル)に赤線と注釈を追記して掲載

最初に言ってしまうと、この隧道は新潟県主要地方道55号の旧道である。赤線の部分が旧道で、隧道はこの区間の弥彦山スカイライン寄りにある。これに使用した地図はおなじみ国土地理院の地図だが、そこにわざわざ赤線を追加して示している通り、現在は間瀬隧道とその前後の旧道区間は地図上から抹消されている。と言うことは、道路としての供用廃止をしたと言うことであり、今は自然に還るのを待つだけ、と言うところだろう。

ところで地図をよく見てみると、上に赤線で表示した旧道区間に対して、新道は迂回して間瀬峠を越えている。新道が旧道の上を通っているという、ここは実に珍しい峠道なのだ(通常は、標高が高いところを通っている旧道に対して、新道がその下を隧道で貫くというのが一般的)。

この間瀬隧道は、日本全国トンネルリスト(平成16年度(2004年4月1日)国土交通省道路施設現況調査)によれば、トンネル分類は陸上トンネル、工法は堀進工法で施工され、延長は135m、1928年(昭和3年)竣工とある。
しかし、全国隧道リスト(1967年(昭和42年)3月31日現在)によれば、1933年(昭和8年)竣工とある。さて、どちらが正しいのかと悩むところだが、様々なサイトを見る限り1933年(昭和8年)としているところがほとんどだから、ここでも1933年(昭和8年)としておこう。ということは、間瀬隧道は今年(2018年)で85歳と言うことになる。

いずれにしても、相当古い隧道ではある。このリストが作られたのが1967年(昭和42年)で、このリストにある一般県道和納停車場間瀬線(後の白根間瀬線)が1993年(平成5年)5月11日、当時の建設省から主要地方道新潟県主要地方道55号に指定されていることから、おそらく50年代まではこの隧道を使っていたはずと思い、少し調べてみた。
今回は航空写真を見てみよう。

国土地理院撮影の空中写真(1947年撮影)

まずは1947年(昭和22年)当時の画像である。画像が粗いのは容赦頂きたい。この頃は当たり前だが県道一本のみである。画像にはわかりやすくするために県道番号を追加し、赤線で間瀬隧道を表現してみたが、この頃の県道は県道番号などは付与されていなかったので注意頂きたい。
では、次の画像を見てみよう。

国土地理院撮影の空中写真(1983年撮影)

この画像は1983年(昭和58年)に撮影された画像である。この頃には新道が開通して供用されているが、間瀬隧道に繋がる旧道も使えるようになっているように見える。地図上で赤線で示したところが間瀬隧道。当時はこのような道路配置になっていた。1947年と1983年かぁ…この途中の年代の画像があるといいよねぇ…と言うことで!

国土地理院撮影の空中写真(1975年撮影)

と言うわけで、1975年(昭和50年)の画像である。この当時は旧道の入口にバリケードなどは見られず、新道と旧道の両方が通れるようになっていたようにも見える。と言うことは、間瀬隧道は50年代までは使われていたようにも思える。もしかすると、弥彦山スカイラインを新潟県企業局が開通させたのが1970年(昭和45年)で、岩室側から来るこの県道が間瀬隧道付近で狭くなることから、弥彦山スカイラインに流入する車の混雑緩和のために、新道の工事が始まったのかも知れない。

さて、事前調査はこの位にして、早速現地に行ってみよう!

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