新潟県出雲崎町道 尼瀬稲川線
稲川隧道 中編

 

2018年12月24日 探索・2018年12月27日 公開




「もしかすると、圧壊しているかも知れない」そんな予感が頭をよぎる。
一般的に隧道は地震に強いと言われる。詳しい話は省略するが、トンネルはコンクリートの壁でだけで山の圧力に耐えている訳ではないので、地震でトンネルの壁にヒビや亀裂が入っても、基本的にトンネルそのものが潰れる(圧壊)事は無いとされている。
しかしだ。そんなことを言われても不安なものは不安なので、私は翌日(12月23日)、稲川隧道の痕跡を探しに新潟県立図書館に向かった。

最初に、土木や道路関係の本を手当たり次第に調べてみた。しかし、県道関係の資料なら先日の「道路概要1964」を始めとして、引っ掛かりそうな資料はたくさんあるのだが、いかんせん「町道」と言うことになると、そうもいかない。さて、どうしたものか。

道路関係の資料で糸口が掴めないとなると、次は市町村史を辿ってみるというのが廃道や隧道の机上調査の鉄則である。
道路と言うものは人間の生活に欠かせないものであり、特にそれが隧道となると山をぶち抜く大工事だから、多くの資料のどこかに必ず痕跡が残っているもので、今回もその鉄則に従って出雲崎町史を調べることにしたのだが…出雲崎町史は通史編、資料編合わせて分厚い本が6冊もある!。並べられた本を前に、一瞬めまいがしてしまった(笑)。
家でゆっくり調査するために借りて帰りたいところだが、この類の本は新潟県立図書館では「貸し出し禁止」だ。だが、同じ本でも新潟市立中央図書館だと、貸し出してくれたりするものもある。
今回も新潟市立中央図書館では貸し出し可能となっていて、さっそく予約したのは言うまでもない。ありがたくお借りして、家でゆっくり読むことにしよう。
…持ち運びには重いが…

それでも、様々な資料をひっくり返して調べたことで、ある程度「稲川隧道」が掴めてきた感がする。
こうなると、あとは現地に赴いて調査した方が早いということで、翌日(12月24日)に私は現地調査に出雲崎町に向うことにした。
ここでやっと「出雲崎町にいる」と言う文章で始まった、一番最初の導入部の場面にたどり着くことになるのである。

いやー、長かった!(笑)

さて、まずは地図を御覧頂こう。(ここから、いつものパターンである(笑))

(国土地理院の電子地形図(タイル)に矢印・注記を追記して掲載)

御覧のように、稲川隧道は「荒城址」の下を抜けるように掘られている。
12月24日の当日は曇りだが、時折小雪が舞う天候だった。私は海沿いの国道402号から現地を目指して、町道尼瀬稲川線を今回は車で入ってきた。途中は対面通行の快適な道で、あたりには長閑な田園風景が広がっている。

 

そろそろかなと思っていたら、現トンネルのスパンドレルが見える。あたりは御覧の通り杉林が広がっており、旧道があったような痕跡はない。また、このトンネルも山に向かって突き抜けるように道が進んでおり、「この先にトンネルがあるよ」と言わんばかりの道形である。ここにもし旧道があって、稲川隧道があったとしたら…と考えたが、この時点では旧道があるようには思えなかった。
道路端にあった少しの空き地に車を停め、歩いてトンネルに向かっていく。

 

現在の稲川トンネルとご対面である。これはこれで、なかなか味のあるトンネルだなぁと一瞬思った。
掘られている場所が、実に絶妙な場所なように感じたのは気のせいか。この稲川トンネルは、坑口に左カーブで進入する路線形をとっている。そういえば、稲川隧道も左カーブで隧道に入っていた。このトンネルがある一帯は史跡の荒城址となっているが、あたりにそれらしき看板もなければ入口らしき道もなく、雑木と植林された杉林ばかりである。
旧道でもあれば、手掛かりになるんだけどなぁ…と思いながら目を凝らして辺りを見るのだが…それらしき跡は見つからなかった。

 

稲川トンネルと正対してみる。やはり、なかなかのトンネル(左右のイラストはない方が良いような気がするが)。
坑口の周りにある迫石はコンクリートの造形だろうが、のっぺりとしているよりずっといい。それに、左右の擁壁もそれなりに古さがあって、いい雰囲気を醸し出している。坑口の左に銘板が見える。近づいてみてみよう。

 

おや?ここは出雲崎町道のはず。なのに事業主体が新潟県になっている。
竣功は1994年2月…和暦だと平成6年。延長、幅、高さも道路トンネルリストの「イナガワトンネル」と符合する。もしかすると、この道は以前は「広域農道」だったのか?。そうなると道路管理者は新潟県になるので、この銘板の事業主体の表記も納得がいく。または 以前から出雲崎町道だったが、何かの新潟県の事業の中に組み入れられ、トンネル改修工事等一式で直接交付を受けたとすれば事業主体は新潟県になる…
う~む…いろいろ考えられるが、すべて確証はない。今はひとまず中に入ってみることにしよう。

 

さすが現代のトンネル。水漏れなどもなく、きちんと管理されていることが伺える。ただ、トンネルの側壁に付着している緑色のコケ?らしきものが気になる。この側壁の外側は、地下水が溢れているのかも知れない。
この稲川トンネルは出雲崎町の稲川地区と中山地区を結んでいるが、私は海側の中山から入った。画像で明るく見える坑口の先は、同じ出雲崎町の稲川地区である。なお、トンネルの内部は稲川隧道と同じく中央部が高く、双方の入口が低くなっている拝み勾配である。ただ、内部でカーブはしておらず、直線で山を貫いている。

 

現代のトンネルらしく、特に何の変哲もなく通って反対側の稲川側に出てしまった。
こちら側も同じようにスパンドレルにイラストがある。通っている途中、何台かの車とすれ違った。頻繁に通るわけではないものの、ある程度の交通量はあるようだ。トンネルの脇にはこのように擁壁があり、旧道らしきものは見当たらない。
実はさっきから、私の中で「もしかすると?」と思い始めている事柄があるのだが、それはまだ確証がない。坑口の左に銘板を確認すると、中山側にあったものと内容は同じだった。

 

稲川側に出ると、このように道は一直線!これはなかなか気持ちいい。左に見える脇道のような入口は、道にあらず(少し期待した)。やはり、旧道などもありそうにない。一向に糸口を掴めそうにないので現地の方々に聞き込みをすることにして、少し道を降りると…いらっしゃいました!農機具メーカーの帽子を被った農家の70歳前後の男性と、前掛け姿の女性(お歳は書かないでおく)。
ご近所さんと言う感じのお二人であったが、私は「すみませーん」と調査用の笑顔を振りまきながら近づき(笑)、友人から頂いた画像を見せながら事情を話し、この隧道ご存知ありませんか?と伺うと…


「あぁ、知ってるよ。これ、そこのトンネルだろう?」

 

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