新潟県一般県道393号
礼拝長岡線
沖見峠トンネル旧道
第7部

2020年5月23日 探索・2020年8月6日 公開

と言うことで、前回私が右を振り向いたところで終わったが、今回はその続きである。
私が右を向いてみた風景は、これだ!。



現道だ!。山々を切り通しで抜けていく現道は、爽快なくらいに長岡を目指して進んでいる。
…ん?。と言うことはここが沖見峠トンネルの直上なのかな?。
チェンジ後の画像は、右を向いた位置から視線を少し左に戻したものだ。現道と旧道の位置関係がよくわかると思う。旧道は坑口の直上を横断する線形になっているため、それでこの付近が少し上り坂になっているようだ。

ここだけ路肩にガードレールとはいかないまでも、路肩防護施設があった。どうやら、このあたりがトンネルの直上らしく、旧道はすぐに沖見峠トンネルの油田(あぶらでん)側坑口の真横に出るはずだ。事前調査では、ここから合流点までさほど距離はないはずで、この先は右カーブになっているようだが…

素直に急降下!(笑)

右カーブを回ると、あっけなく現道に合流。早いな、おい(笑)。その代わりと言うか、現道へ向かう旧道の路面は結構急な下り坂。このまま自転車に跨って降りていくと現道に飛び出してしまいそうで、それは事故のもと。自転車のブレーキをしっかり握って、ゆっくりと降りていく。

新旧の対照をしてみる目的で撮影してみた。山の斜面よりも坑道が延伸されていて、その部分だけ土被りが浅い。ここから改めて眺めて見ると、延伸された部分を通る旧道の路肩に、さっき旧道で見た一部分だけの路肩防護施設が見える。ちょうどあの位置が延伸された坑道の直上のようだ。このトンネルがこんなデザインになっているのは、一つは旧道があったので坑口を伸ばしてその上に旧道を通したということもあるかもしれないが、坑口付近で崖崩れが発生した際に坑口が埋まってしまうのを防ぐ意図で延ばされたのではないか。一種の突出型坑門と言えるかもしれない。
それにしても、新旧の道路(しかも新しい道路の方はトンネル)がこのアングルで、こうして一つのフレームに収まるのはなかなかないと思う。



峠を下って現道に降り立ち、現道側から旧道を眺めてみる。
こちらから来ると、いかにも「こっちが旧道ですよ」と言わんばかりに分岐しているが、普通に何気なく見ると、山中に突っ込んで行く舗装されているけど狭い作業道、そんな風にしか見えない。まさかこの道が沖見峠がある旧長岡街道とは思えないほど地味だ。そして私はこんな道が大好物だ(笑)。
チェンジ後の画像は旧道から現道に降り立つ直前に見える、現道に立つ村界の看板だ。ここから刈羽村で、この付近は刈羽村油田(あぶらでん)である。
余談だが、この刈羽村油田と旧西山町妙法寺の間は、その昔は西山油田(ゆでん)と言われていたことは最初に書いたが、この油田(ゆでん)と、地名の油田(あぶらでん)がややこしくて仕方がない。同じ文字だから、仕方ないと言えば仕方ないのだが…。

旧道から現道に降り立った私は、現道を少し油田方向に進んでみた。この区間の現道も、曲がりくねっていた旧道を串刺しにする形で新しく整備したようで、名残のような旧道の路盤らしき平地が山裾の部分にところどころ残っていた。画像の場所などは一番わかりやすい場所で、峠から降りて刈羽村の村界看板を過ぎるとすぐ右に分岐する旧道の路盤だ。この辺は後日改めてまた探索したいと思う。

現道との合流地点をひとしきりウロウロして撮影した私は、自転車に跨って沖見峠トンネルを通って妙法寺側に出てスタート地点の献上場までを探索するが、このトンネルは油田から妙法寺側への片勾配なのでほとんど漕がずに楽なはず。画像は沖見峠トンネルの銘板で、2000年12月とある。ということは、私が通ってきた旧道は旧道化してから、およそ19年。たいして廃道化もせず、よく残っていてくれたものだと感謝した。

こりゃ快走路だ!

沖見峠トンネルを抜けて、妙法寺側へ。柏崎市は現在の妙法寺地区が所属する自治体の名称だ。柏崎市には世界最大の原子力発電所、東京電力柏崎刈羽原子力発電所があることで有名なので、県外の方でもどこかで耳にされた方が多いと思う。しかし、私の中では今は原子力発電所よりも沖見峠のことで頭がいっぱい(笑)。現道はここから妙法寺集落までずっと下り坂のはずで、そこまでサイクリング気分で少し楽をすることにしよう。

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