新潟市秋葉区
熊沢隧道

2019年3月26日 探索 2019年10月31日 公開

新潟市秋葉区新津(旧新津市)は古くから石油の里として知られ、ここでも紹介した比礼隧道の長岡市や稲川隧道の出雲崎町などと並ぶ、石油の里である。また、鉄道の町としても有名であり、国鉄の新津機関区や国鉄新津工場に始まり、国鉄民営化後はJR東日本新津車両製作所として国内唯一の鉄道事業者直営の車両製作工場として稼働していた。現在はJR東日本の子会社、株式会社総合車両製作所の新津事業所として盛業中である。

この新津の町には、それぞれの石油井から搬出地に石油を送ったり、或いは人の交通のために、あちこちに隧道が掘られていることは知っていた。そのほとんどは素掘りの隧道で、その中には今では使われなくなって埋もれてしまったりしたものもあるとは聞いていたのだ。これはいつか集中的に調べようと思って、そのままになっていた。

今回紹介する熊沢隧道はその中の一本で、結構有名な隧道らしいのだが、実は私はその存在を知らなかった。この熊沢隧道を知るきっかけとなったのは、今年の春にネタ集めをしていた時である。新潟は北国で冬は雪に閉ざされてしまうので、旧道や廃道を探索するにも雪が消えるのを待たないといけないのだが、春になって今年の探索地を探している中で、この隧道の存在を知った。身近にこんな隧道があったとは!との思いから、すぐに探索に向かったが、何も知らないで探索に行くには少々気が引けたので、軽く事前調査を行った。まずはこの隧道がどこにあるのか、地図で確認してみよう。

国土地理院の電子地形図(タイル)に注釈を追記して掲載

これは、新潟県新潟市秋葉区草水町付近の地図だ。右側に見える黄色の道は、新潟県一般県道7号新津村松線である。その県道から住宅地の中の細い道を進むと神社があり、そこから更に先へ進むと「煮坪」と言う文字が見えるが、これはその昔、石油が自噴出していた油井戸で、日本における石油採掘の歴史においても非常に重要な史跡なのだとか。新潟市指定文化財にも指定されている史跡である。この煮坪から先、等高線を無視するかのように真っすぐ山中に入っていく小径が描かれており、そこにトンネルの記号が見える。これが熊沢隧道である。
この地図は現在のものだが、それでは昔はどうなっていたのだろうか。そこで一気に1911年(明治44年)までさかのぼり確認してみたところ…

明治四十四年測図 昭和六年修正測図  参謀本部発行「新津」を使用したものである。

おおっ!隧道の記号があるっ!

1911年(明治44年)測図の地図に記載されているということは、なかなかの古豪の隧道ではないか!。一気に期待が高まってくる。隧道へ向かう途中の道も、今と経路はほとんど変わってないように見える。1911年(明治44年)のこの時代から、この道は等高線を無視して山を駆け上がり、一直線に隧道へ向かっていた。ということは、この道は造られた当時から車道として考えられてはいなかったということだ。この道が最初は車道として考えられて拓かれた道なら、勾配を少しでも緩やかにするために、道の全長を長くしてでも等高線に沿って道を作るはずだからである。これがないということは、この道は最初から徒歩の通行しか想定されなかったということだろう。また、熊澤と文字がある付近にいくつかの建物の記号があるが、これが熊澤の集落だろう。現在の地図を見ると建物の記号はすべてなくなっており、廃集落となってしまったと思われる。熊沢隧道の名前は、この集落名から名づけられたものということがわかった。
髙坪と文字がある上に見える広い道は、現在の新潟県一般県道7号新津村松線の前身の道だ。その道筋は現在と全く変わっていない。熊沢隧道は山中の集落だった熊沢集落と、道沿いに拓けた髙坪の集落を最短距離で結ぶために掘られたものだろうということは想像に難しくない。

この画像は探索直前の画像だ。古豪の隧道であることがわかったこの隧道、今の姿は竣功当時の姿ではないだろうが、どんな隧道なのか、どんな顔を見せてくれるのか、非常に楽しみでワクワクする。それでは探索開始!。

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