一般国道8号
赤田トンネル旧道
曾地峠
 第3部

2020年8月13日 探索・2020年9月7日 公開

ここでは、あまりにも標識に狂喜乱舞してしまったので(と言うほどではないが、はしゃいでしまったのは事実)、少し落ち着いて峠と正対してみる。ここから見ると、消えかかったセンターラインが路面の右端にあるから、往時はそこが道路の中央だったことがわかる。また、改めて峠全体を見ると、ここだけ少し道幅が狭くなっている印象を受ける。赤田トンネル開通前は、ここが国道8号のネックだったということは想像に難しくない。

それでは先へ進もう。振り返ると、このようにそれなりに通行できる道幅が保たれた旧道が、赤田トンネル刈羽側坑口を目指す。路面の左右にポケットのように広くなっている場所は、頻繁にここに車が停まっている、駐車場みたいな場所だろう。ここから先は緩い下り坂になっており、ペダルを懸命に漕がなくても楽して進めるので非常に楽だ。

前述の場所から赤田トンネルの刈羽側坑口まではすぐ近くで、さっきの場所から少し下ると現道の喧噪が聞こえる。視線の先には現道に設置されている道路構造物も見えるから、この旧道は本当にトンネル区間を迂回してるだけなのだ。なので、ここから更に進むと…

あっという間に現道に到着して、旧道区間は終わる。右側に設置されている小屋は何かの工事の現場事務所となっている小屋で、今日は休日なので人はいなかった。非常に楽だったというか、拍子抜けするほど簡単に曾地峠の探索は終わってしまったかのようだが、実はそんなことはない。ここからスタート地点に戻って、そこからが本番だ。まずはこのまま合流して刈羽側分岐点を確認しよう。



ここが曾地峠の刈羽側分岐点。右側に通っているのが現道で、このまま先へ進むと坑口に行き着く。このままここから見ていても、いまいちわかりにくいかと思って、別の場所から撮影したのがチェンジ後の画像で、道路を横断して撮影した。現道はトンネルなので正面の山に突っ込んで行く道形を取るが、旧道はその左側の山々の隙間を通るかのような線形を取っているのがよくわかる、現道と旧道の対比を観察するには非常にいい。
撮影場所は日陰だったし、ここで少し水分補給と休憩。私もこの分岐点をじっくり眺めて、対比を観察した。

休憩して体力も回復したところで、柏崎側へ戻ることにする。現道を通ってもいいが、交通量が多いトンネルを通る気にならず、旧道を通って柏崎側へ出ることにした。こちら側にも旧道の入口にはこの先車は通れない旨の表示板があり、暗にここが旧道であることを主張しているかのように見えた。

下りで見た風景と登りで見る風景は違うもので、ここもそうだった。路面の幅は草に埋もれてはいるものの、対面通行が出来るだけの幅が保たれていたことがわかる。だが、隣を走る現道の幅と比べるとやはり狭さを感じるし、結構急な上り坂だ。旧道化した現在は1車線の細い道になっているが、路面のアスファルトについたダブルトラックを見てもわかる通り、結構頻繁に車の出入りがあるような気がする。今回の探索中にいなくてよかった(笑)。

下りは楽だったが、この登りは結構キツい。自転車のギアを落としてゆっくりと上がっていく。荷物を満載したトラックでは、この坂を上がるのに大変だっただろう。おまけにこの先の峠を越えると、その先の明治天皇北陸御巡幸の碑を越えたところにある下り坂の急な右カーブが非常に危険だ。これがこの曾地峠の区間をトンネルと橋で改良した理由なんだろうなぁなどと思いながら、ゆっくりと坂を上がっていく。

峠までやってきた。左端の、この峠ではすっかりおなじみになった感がある「注意」の標識が、また出迎えてくれる。せっかくなのでまた数枚撮影し(←またかい(笑))、補助標識を改めて見てみる。「この先急カーブ」と「安全速度30」の文字がどこを指しているのか、わかった気がする。だから、この標識はこちら側にしかないのだ。


峠を越えて北陸御巡幸の碑を過ぎると、やがてスタート地点へたどり着く。でも今回はそこで終わりではなく、そこからまた曾地峠旧道の探索が始まる。その旧道に入って最初に出迎えてくれたものとは・・・!。

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