一般国道8号
赤田トンネル旧道
曾地峠
 第2部

2020年8月13日 探索・2020年9月3日 公開

さ、それではいよいよ峠の本体部分に取り掛かろう。…とは言っても、記念碑の広場から峠へ向かう道は入口こそ狭く見えたものの、少し進むとこの広さを取り戻した。大型トラックとはいかないまでも、小型トラックであれば余裕で進めそうな道幅を保っている。道の左右は草が覆い茂っているものの、それでもV字に切れ込んだ形がハッキリとわかる見事な切り通しだ。
この旧道には電力線が架設されていて、その保守にも使用されるから必要最低限の道幅が保たれているのだろう。おかげで歩きやすいし、自転車でも走りやすいのだが、いささか物足りないのは贅沢と言うものか(笑)。

少し進んだ先の左側にあったのは、お馴染みの水準点。地理院地図をプリントした持参の地形図で確認すると、ここは141.2の数値が記載されている。ついでにこの先の道形を確認すると、この旧道は現道の赤田トンネル刈羽側坑口付近まで、ほぼ一直線のようだ。さすがは旧一級国道の道と言うべきか、地形に沿わせるよりも地形を貫く道形になっている。これは、この峠が明治に拓かれた比較的新しい峠であることも関係しているだろう。

その水準点がある左側の法面と言うか、山肌を眺めてみる。先の方に斜めに生えて伸びてしまった木々が見えるが、あれは現道当時には刈りこまれていたものかもしれない。当たり前だが道幅はもっと広かったはずで、斜めに生えて締まった木々の根元付近が路肩だったのかも。そうすると、画像の中で一番手前の部分は急に狭くなっているから、ここだけもしかして崖崩れの跡では?などと思ってしまった(本当のところはわからない)。

この独特な雰囲気が、この道がもうすぐ峠を迎えることを教えてくれる。ここよりもう少し先、あの右側の法面に擁壁がある手前辺りが峠だろう。路面に残るセンターラインの跡が哀愁を誘う。明治に開削されてから昭和まで多くの人と物を通し、一級国道8号の峠として活躍しただろうに…という気持ちもあるが、旧道化してもこうしてちゃんと管理されているのは、やはり幸せと言うべきだと思う。これは沖見峠も同じことが言えると思う。
何せ、ここの前に探索した国道290号のとある峠は(以下略)
この国道290号のとある峠については、そのうち紹介したい(笑)。

たぶんここが峠だろう。左右の法面を強固な擁壁で守られた峠は、「絶対に通行止めにしてはならない」と言う気概さえ感じる。ここだけやや道幅が狭くなっていることにも注目したい。大型車にとってはおそらくすれ違いは大変だっただろう。今まで少ないながらも新潟県内の峠をいろいろ通ってきたが、峠としての迫力をビンビンと感じたのは国道7号蒲萄峠、国道7号大毎峠に次いで三カ所目だ。思わず立ち尽くしてしばし見入ってしまった。

更に先へ進んでみると、黄色のセンターラインが消えかかっているものの、その面影を残しているのを見つけた。こちら側の車線は路面に進出してきた草にほとんど覆われているが、通れるだけの道幅はここでも保たれている。
それよりも、だ。右側の電柱の脇に背中を向けて立っているヤツがいるじゃないか。あれはもしかして…標識だろうか!。ことさら落ち着き払っているかのように振る舞って(誰が見てるわけでもないが)近づいて見ると…

うおっ!CAUTIONだ!

この旧道に入って、初めての大興奮だ!(笑)。しかも「この先急カーブ」と「安全速度30」が組み合わされているじゃないか!。これはたまらん!。誰もいない旧道で古い標識を前に、大人げなくはしゃいでシャッターを切りまくっているオッサンの姿を想像して頂きたい。想像するとなかなか滑稽だが、この時は私もそうなっていただろう。それには私も自信がある。これが今の私の姿だ(笑)。


ひとしきりこの標識で一人で大騒ぎして(ベストショットはどの角度だ?などと考えながらシャッターを切っていたので、同じアングルの画像が非常に多かった(笑))、先へ進む。ここから刈羽側坑口までは、もうそんなに距離はないはずだ。路面もこの先そんなに荒れることはないだろうと思うが、まずは刈羽側坑口を目指そう!。

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