一般国道113号
八ツ口旧道 第10部

2020年3月7日 探索・2020年4月24日 公開

橋の名は

どっかで聞いたようなタイトルだと思う方もいらっしゃると思うが、それは気のせいだ(笑)。
前回、私はこの旧道の最後の橋まで辿り着いた。旧道を探索する中では、ここまで比較的順調に進むことが出来たが、それは冬枯れしている今の時期だからこそ、という面もあるだろう。
さて、この橋はこの旧道の中で最高度付近にあるため、橋の周りをウロウロしてみようとは言っても、下手にしようものなら荒川まで真っ逆さまと言うことにになりかねないので、まずは親柱から調べてみよう。ここから見る限りでは、銘板が残っていそうだ。

おおっ!貫禄の銘板じゃないか!

橋の山側にある、私から見て左側の親柱が残っていた!。読んでみると「西澤橋」とある。
そうすると、4人の若者が名前を刻み付けた2番目の橋は「中澤橋」、最初の橋は「東澤橋」だろうか。それも些か安直すぎるかなと言う気もするが、ここは仮称としてそう呼ぶことにしよう。
この他にまだ健在の親柱3本を調べてみたが、銘板は失われているか判読が出来なかった。

さて、この西澤橋だが、左の山側にある沢の跡を避けるために架けられたようだ。だが、その沢をよく見ると、路盤のような跡があるようにも見えなくもない。もともとは山側に道があって、その道が崩れてしまったために西澤橋が掛けられたのかもしれない。もう少し見てみよう。

おー、滑っとる・・・

なかなか見事な崩れっぷりだ!(←あまりシャレにならない)。山肌がすり鉢状になっているのが、お分かり頂けるだろうか。これが以前の崖崩れの跡だろう。また、画像の三分の一のあたりに妙な段差が見える。これが元々の道の路盤じゃないかと考えた。その幅、およそ車一台分。今の道路の規格ならともかく、昭和40年代の道の規格なら十分に考えられる道幅だ。やはり、ここが崩れたのを復旧する目的で西澤橋が掛けられたのではないかと思われる。

橋の袂から山肌に沿うように足場があるのが見えるだろうか。これが西澤橋の旧道の跡かなと言う気がする。橋の欄干のデザインはモダンなもので、昭和初期の橋に見られる趣のあるデザインだ。今の橋も、このくらいモダンなデザインだと楽しいのに。橋が建造物として道と共に時間を重ねていくと周りの風景に溶け込み、実に趣のある道路構造物になると思うのだが。

路面を見てみる。ここまで橋以外の路盤は未舗装だったが、降り積もった枯葉の隙間から一部だが西澤橋の路面が見えていた。これは…コンクリート舗装?いや、アスファルト舗装のようにも見える。アスファルト舗装をして長年経過した時の若干色褪せた感じと言えば、わかって頂けるだろうか、こんな感じにも見える。降り積もった枯葉の下に存在する舗装路面はまだしっかりとしていて、ここだけ見れば車を通すことも可能なように見えるのだが。

反対側に渡って撮影してみた。左側には荒川の豊かな流れが見えるが、赴きのあるいい橋だ。この道が重ねてきた歴史が垣間見えるようで、ここを車や人が通っていた時代の風景が偲ばれる。対岸に見える八ツ口集落の方々も現行の新しい道が出来るまではこの道を通っていたはずで、この道を散歩する方々もいたのだろうか。ここから、脇を流れる荒川の方を見てみると…

いやぁ…いい景色だ。折角だから、この辺で少し休憩しよう。撮影機材を満載している背中のリュックを下ろすと背中が一気に軽くなり、肩にかかっていた重さが無くなった。若干汗をかいている背中が涼しい。リュックのポケットに入れたペットボトルのお茶を取り出して、身軽になった身体に解放感を感じつつ、この風景を見ながら一口飲むと爽やかさが溢れかえって生き返るようだ。

さぁ、先へ進もう。ゴールは近いはず。この景色も、もう見ることはないだろうからと目に焼き付けておくつもりで振り返ると、遠くに三つ重なった橋が見えた。一番手前が八ツ口橋、次の青い橋が米坂線の橋、一番奥が現道の金丸大橋。橋が三つ重なる風景は、そうそう見られるもんじゃない。今は対岸を通っている全ての交通を、私は旧道から眺めている。


いろいろあって楽しかったこの探索も、もうすぐゴールを迎える。
そこにはわが愛車の自転車が待っているはずなのだが、その前に私の目の前に現れたのは…!

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