新潟県主要地方道59号
大和焼野線
後山トンネル旧道
 第10部

2023年4月22日 探索 2023年7月2日 公開

眼差しに映る道

ファインダーの中には、峠の頂上と思しき場所が見えている。そこには石碑のようなものが三つ。その上には何やら平地のような場所が見えている。あれは道だろうか。となると、この後山峠の道が開通する以前の道の可能性もある。これは面白くなってきた。机上調査の対象は増えるが、それは致し方あるまい。ひとまず今は、あの見えている場所に到達しなければ。先を急ごう。

ようやく頂上へやってきた。道は大きな右カーブで、ここが山頂と言うことを示すように、3つの石碑らしきものが立っている。その後ろには・・・これはホントに道だろうか。なんだか一部分だけの高台のようにも見えるが…。この道と思しき地形の追跡は後にして、まずは峠へ向かおう。右側には特徴的なアンテナが。これは携帯電話の無線基地局かな。この向きだと南魚沼市方向に向いているので、中継局かもしれない。いずれにしても、このアンテナはこの地域の方々にとって通信を保つ、非常に大切な存在だろう。旧道には、こういった施設が設置されていることがある。無線基地局であったり、中継施設であったり、山越えの送電線であったり。その管理道として第二の人生を送る旧道に、大いにエールを送りたい。

後山峠の頂上に到着。ここまでほとんど歩いて上ってきたが、思った以上に高いところまで登ってきていたようで、素晴らしい眺望が私を待っていた。思わず熱中してシャッターを切りまくったが、この道が現道だったころの冬はどうしていたんだろう。この地域だから、もちろん雪深い。積雪は数メートルにまで達したはずで、やっぱり閉ざされていたのか・・・などと思わず想いを馳せてしまうほどの景色だった。

景色に熱中して、思わず撮り忘れるところだった。この後山峠を見下ろせる場所にあるこの胸像は、薮神村村長だった小川泰夫氏。薮神村とは1956年(昭和31年)3月31日まで存在した南魚沼郡の村で、この地域はその薮神村に属していた。詳しくは後述するが、この小川村長が私が今通ってきた旧道の道筋を拓いた人物だ。この人がいたから、今の道があると言っても過言ではないだろう。ここから見える今の風景、氏の眼差しにはどのように映っているだろうか。

正直に言おう。何をしていたのか、小川氏の胸像とこの景色に注意を取られ、残る他の二つの碑のようなものについて、注意して見ていない。そこに何か文字のようなものが掘られていれば、見ているし調べているはずなので…多分何もなかったのだろうと思う。

頂上からの景色が素晴らしいこともそうだが、下草がきちんと刈り込まれていて、現道の開通により県道指定からは外れてしまったものの、今でもこの道全体が地域の人々にとって大切な道であり守るべき道であることが、このことからよくわかる。それは胸像の小川氏がこの道のために尽力した物語が、ちゃんと後世に伝わっているからだろう。それだけこの道の物語が深いということなのかもしれない。

この画像は胸像の位置から、さっきとは正反対の方向の景色を眺めたものだ。この後山峠に繋がる山々の連なりが非常によくわかる。ここの標高はどのくらいだろうと地理院地図をネットで開いて調べてみると、ここから一番近い標高点で576メートルがあるので、ここもおそらく同じくらいの高さだろう。えらく高いところまで登ってきたもんだ。しばらく眺めた後に、さてそれでは・・・と道の方に目をやると…

おお、雪?!それに…

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