新潟県一般県道440号
麓野積線 第5部
「懐かしくて華やかな峠道」

2023年8月12日 探索 2023年10月26日 公開

懐かしくて華やかな峠道

峠の右側に施されている疎石コンクリートで造られた擁壁。その中央部に、このような意匠があった。これはなんだろう。地域振興局の境界標でも埋め込むつもりだったのだろうか?。…いや、そんなことはないな。立派過ぎるし、そんな境界標をここに埋め込んでも、あまり意味はない。でも、なにがしかの銘板らしきものが嵌め込まれていたのは間違いないだろう。さっきの「日天月天塔」や「新潟縣」の立派な標柱を見ても、双方の集落(特に野積内川村)の方々にとても大切にされた道だったことは、すごくよくわかる。
すると、ここにはめ込まれていたのは…村界とか、そんなところだろうか。もしそうだとするなら、さぞかし立派な村界標だったに違いない。ぜひ見たかった!。

左の山側は本来の斜面が続く峠道。右側の擁壁と相まって、良い雰囲気を醸し出している。こうして画像を見ていると、山側の斜面は石垣のようにも見えるが、実はそうではない。だが斜面自体はすごく安定していて、ちょっとやそっとでは崩れる様子もなさそうだ。きっとこの峠、開削した当時からずっとこのままの姿だと思う。切通した場所がよかったのか、それとも長い年月の間に安定したのか、それはわからないが、そのままの姿を残す貴重な風景でもあると思う。

峠を少し越えたところで撮影。道は右カーブで山側の麓集落に向かって下りていこうとしている。だが、その下り勾配も急なものでもなく、荷車が通るのに支障ないくらい緩やかな勾配の道、と言えばわかりやすいかな。思えば、ここに来るまでの道も、途中に急な勾配は一つもなく、非常に緩やかな上り坂が続く道だった。これは、この道が車道として設計されていて、荷車が通ることを想定した道形だからだと思う。
峠の頂上に立っていた「日天月天塔」や、野積側にあった小さな祠、この峠道が古来から大切にされていたことを今に伝えてくれる多くのものが残っている。かつてはこの道を人々が行き交い、牛車や馬車がのんびりと通っていたと思うと、それは実に楽しくて懐かしく、また華やかな風景が、まるで目の前に見えるかのように想像できた。

峠の右カーブを過ぎると、緩やかに一直線に麓集落を目指す道。県道指定は後世でも、この道が拓かれた当初は林道だったことは想像にたやすい。ところどころに立つ、路面に近いところが緑色の苔に包まれたデリニエータは、これまで路肩が崩れたところに立っていたが、ここに立つものは「路肩が崩れたから」と言うわけではなさそうだ。軟弱なのか、それともここだけ路肩に大きく太い木が立っているから?…そんなことはないか。

ご覧の通り、非常に狭い道だが、ここまで対向車は1台も出会っていない。じっくりと探索できるのは嬉しいが、多少寂しくもある。車から降りて深呼吸を一つ。土と木々と草のいい香りがした。

この峠を離れて先へ進むのがなんとも名残惜しく、峠の擁壁と、その角に立つデリニエータを撮影してみる。おおよそ、峠の擁壁の端っこはスパッと落とされたように終わっているところが多かったりするが、ここは角が丸く回り込ような感じで形を整えられている。路肩の白線の上には多くの枯葉が覆いかぶさっているが、これは側溝の詰まりを掃除したときに取り除いた枯葉だろう。こんなのは普通に通っていると気づかない、何気ない風景なのだが、こういったことだけでもこの道が大切にされているかどうか、推し測ることが出来る。そういった瞬間は、何か大きな発見をしたような気分になって、実に楽しい(笑)。

直線的に、一気に麓の麓集落を目指して(なかなかややこしい(笑))下りていく県道。道幅も少し広くなり、普通車が優に通行できる幅と言えばわかりやすいだろうか。そういえば、峠のあたりで新潟県のそれぞれの地域を管理する地域振興局の境界を越えているはずだが(寺泊町(現在の長岡市)…長岡地域振興局、弥彦村…三条地域振興局)、その境界標は見ていない。この道幅が少し広くなった理由は、管理する地域振興局の違いによるものだろう。


これまでにも、主要地方道56号や、178号など、地域振興局の境界をまたぐ県道というのは多く見てきたし、もちろんそれ自体は珍しいことでもなんでもないが、道の印象が変わることはよくある。これまで、一番変わったのは主要地方道56号だろうか。この道は数百メートルの間に、所管する地域振興局が2度変わっていた。


道は緩やかな下り坂のまま、麓集落を目指して進む。
寺泊側と同じように、楽しい道だといいな。

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