新潟県一般県道440号
麓野積線 第12部
(完結編)

「海と山を結ぶ道」

2023年8月12日 探索 2023年11月23日 公開

海と山を結ぶ道

さほど長くない県道だったが、なかなか楽しませてくれた道だった。別れるのは名残惜しいが、もうすぐ麓集落側の終点だ(終点は今回の探索の上での話。道路台帳上の起点は麓集落)入口には何やら看板が。よく見ると「古くなったえん堤(堰堤)を改築しています」とある。私が訪れたこの時は既に改築が進んでいたが、改築される前の堰堤は、もしかすると玉石積みだったかもしれない。そうなると、もう少し早く訪れればよかったと非常に口惜しい。

林の中に突っ込んでいく道。その道は野積に続いているが、結局ここまで1台の車や人ともすれ違わなかった。その昔から、こんな道だったのだろうか。
そうではないと思いたいが…

峠道から出てきて、麓の集落の中に入ってくる。こうなるといつもの県道の風景といいかもしれないが、実はこの県道はここが終わりではない。この県道は標識こそないものの、まだ先へ続いていて、ここから見る道の景色はなかなかいい雰囲気の道だ。さて、この道の終点はどんな景色なのだろうか。今から想像が膨らんでしまって楽しみだ(多分、ごく普通のありきたりの合流なのだろうな(笑))。

住宅地の中を進み、たどり着いた場所。ここが、今まで辿ってきた新潟県一般県道440号麓野積線の探索の終点だ。なんだか田圃の畦道みたいな道がそのまま広い道に合流しているだけのように見えるが、さにあらず。支柱が錆びてしまった丁字路の警戒標識が、どことなく漂う侘しさを増長していると言ったら言い過ぎだろうか。ところで、正面に立っているものは、もしかしてアレか?!

おおっ!卒塔婆ではないかっ!

国道や主要地方道と一般県道の分岐点を表す、通称「卒塔婆(そとば)」。それが私の目の前にある。ということは、私が辿ってきた道は間違いではなかったということだ。まずは一安心。それにしても…どこにでもある交差点だな、こりゃ(笑)。
ま、一般県道の分岐点は、だいたいどこもこんなもんだが。でも、正面に見える未舗装の道まで県道指定されてなくてよかった。

…されてりゃされてたで、また楽しだが(笑)

さて、ではその卒塔婆を確認してみよう。
いい感じだ。左右に設置される緑色の主要地方道の表示板は左右が三角形の矢印で、「2」を示している。すなわち、左右の道は主要地方道2号ということだ。対してオレンジ色の表示板は一般県道を表していて、片側のみが矢印になっている。そこに書かれている番号は「440」、一般県道440号がここから始まるということを表している。起点はここで間違いない。ということは、この辺の路面を調べてみると、「あいつ」がコソッといるはずなんだが…

あったあった。「あいつ」とはこれだ。新潟県土木部が設置した「道路台帳基準点」。この基準点を元に道路台帳が作られる、これ以上ない県道の証といってもいいだろう。これも「新潟県の標柱」と共に、私にとっては大切な道標。これを見ると安心する。
これを見つけたところで、今回の探索は終わりにしよう。あとは机上調査だ。


その日、私は新潟県立図書館にいた。もちろん、この県道の机上調査を行うためだ。ほとんど開館と同時に入り、パソコンブースの一つを借り切って、彌彦村史に新潟県の林業・林道関係の書籍、寺泊町史など、思い当たるところをあたってみたが…

素性がわからん!

たぶん、県道の認定前は林道だったんじゃないかというのが予想だったし、林道記念の記念碑もあったし、昭和10年11月30日という竣工日までわかっているにも関わらず、だ。記念碑から左に分岐していた、黒滝城に向かう林道黒滝要害線の記録は見つかるのだが、この林道の記録は見つからない。山の中にこれほどの土木構造物(道路)を作るわけだから、どこかに記録が残っていてもいいはずなのだが…


ここから先は私の仮説だ。

いろいろ調べていくと、この県道の起点である麓の集落は郵便局が作られるほどで、彌彦村でも比較的大きい集落だったようだ。対して海側の集落の野積は港町。漁業が盛んな集落でもある。この県道の前身だった林道は、海側の野積から海産物を、山側の麓からは山の幸や木材を運ぶために作られたのではないか。そこには弥彦神社に向かう参拝者に対しての短絡路的な目的もあったかもしれない。その参拝者のために日天月天塔が建立されたんじゃないかと考えたが、よせばいいのに、ここでまた一つ謎を見つけてしまった。

野積側の日天月天塔が建立されたのは昭和3年12月24日。麓側の林道が着工したのが昭和7年10月3日。日天月天塔が建立された時には、あの峠道は未舗装でも存在したことになる。野積側のこの道は、いったいどこへ向かおうとしていたのか。旧版地形図を見てみることにした。

この地形図は昭和21年発行だが、修正測図は昭和6年だ。従って、この県道の前身と思われる林道は、まだ跡形もない。赤線で示したところが、現在の県道の前身になった道筋ではないかと思われる。そして、野積側の道は現在の県道の道筋の上にある、猿ケ馬場峠の方向へ向かっていた。

これが現在の地図。中央を横切る細いヒョロヒョロした道が、我らが県道440号だ。猿ケ馬場峠あたりとの位置関係を見てみると、旧版地形図で示した道が現在の道筋のベースになっていると考えてもいいかもしれない。やはり、この道は山側の麓集落と海側の野積集落を結ぶために拓かれた道ではないか、そんな気がしてくる。そして、越後一之宮である彌彦神社に参拝する人たちも、この道を利用したのではないか。だから、野積側も麓側にもお地蔵様の祠があり、途中の峠には日夜の安全を祈願して「日天月天塔」が建立された…と考えた。

確証はないし、それを示す文献もない。だが、出来れば「そうあってほしい」と思っている自分がいる。
沢のそばを通る道、左直角右直角の道、どこか懐かしくて華やかささえ感じる峠道。それらは実に楽しい道だった。海と山を結ぶ道は数多くあれど、ここまで印象に残ったのは、ここと主要地方道56号小千谷大沢線くらいだろうか。

願わくば、もう少し交通量が増えてくれると嬉しかったりするが…
でも、今くらいの方がちょうどいいのかな、この道には。このレポートを書いているころには冬季通行止めになって、暖かな春を待っていることだろう。

また来年の春にでも訪れてみようか
その時にはのんびりと歩いてみよう

新潟県一般県道440号
麓野積線

完結。