新潟県一般県道440号
麓野積線 第2部
「魔法の標柱」

2023年8月12日 探索 2023年10月14日 公開

魔法の標柱

旧い街道筋のような道から少し先に行くと、これまでと変わらず狭い道幅の道が続き、森の木々のトンネルの中に吸い込まれていく。この道、おそらくは林道から県道に昇格した道なのだろうが、林道時代の雰囲気をよく残しているとも言える。

ところで左側の隅に少し見えているコンクリート製のパネルで組まれた擁壁。よく見かけるものだが、この道もどうやら災害と仲良しの道であるらしい。県道番号3桁、しかも新潟県内の県道としては後半の400番台の県道なだけに、それは致し方ないところか。


お、少し広くなった!

地味に拡幅された道。狭い道ばかり通っていて、時折こうして道幅が広くなるとホッとするものだが、道をよーく見てみると左側にはここだけ縁石があり、右側にはコンクリート擁壁の頭端部が見えている。この擁壁の頭端部のお陰で、道幅が少し広がったように見えているのだ。てことは、ここは以前に大規模な改修工事を受けていて、その原因は斜面が滑り落ちたということだろう。

でも、結構派手に崩れてしまったみたいね、ここ…
で、ここから見える工事区間の終点に、申し訳なさそうにデリニエータがポツンと立っている。それに路面には舗装の補修工事が以前に行われたようで、直線的に舗装しなおした跡が見える。電気か電話か。でも、それから先は補修舗装の跡はないのよね。
チェンジ後の画像は、振りかえって工事区間の起点を見てみたものだ。やはりこちらにもデリニエータがポツンと立っていた。

先へ進むと、こんな切り通した道が現れた。
両側の斜面も、補修されてコンクリートで固められているところもなく、最初に切り通した土のままだ。雨が降っても雪が降っても崩れることもなく(特にここは冬季通行止めになるだけに)、この斜面は長い時間ここに存在している。路面には申し訳なさそうに引かれている路側帯の白線。人が歩くにはあまりに狭すぎるその幅は、少しづつ崩れてくる斜面の土に埋もれそうになっていた。

…と、叙情的に書けばこうなるが、その実はこの風景を見た瞬間、美しいと思ってしまった。勾配を緩くするために山の斜面をわざわざ切り通して、それまでの坂道の勾配を継承するかのように山中を進んでいる道。となると、明治車道?!…とまではいかないものの、荷車などの通行を意識した道ということが出来そうだ。

切通しを過ぎると、このような森の中を進む道に変貌する。左右の斜面の高さはだんだん低くなってきて、この道が間もなく峠を迎えるかもしれないという期待を膨らまさせてくれて、非常に楽しい。それに、この道を包む周りの緑の色合いが素晴らしい。探索当日は曇り空で光が足りない状態だったが、これが晴れで十分に光量がある状態なら、どんな感じだったのだろうと思うと少々口惜しいが…この風景はこの瞬間しか見れないものだ。十分に楽しもう。

傍らに立っていた新潟県の標柱。このサイトの名前にもなった道標ともなる目印で、この標柱があるだけで探索者は安心感を得られるという魔法の標柱。この標柱も「新潟県」と記されているが、県の文字が旧字体の「縣」になっている。さて、この標柱はどんな歴史を持って、今もここに立っているのか。

旧字体から新字体への切り替えは1950年(昭和25年)には完全に切り替わったとされている。だとすると昭和20年代後半には新字体に切り替わったことになるし、しかも県道となると自治体管理だけに、こうした文字の切り替わりと言うものは早めに変えるだろうから、少なくとも昭和20年台後半には県管理の道として存在したことになる。でも、県道としては後発の400番代なのよね。こうして一つ謎が増える。

旧字体の標柱に敬意を払って先に進むと、道幅は相変わらず狭い。普通車1台分というとわかりやすいだろうか。途中少しは広くなった部分はあったものの、ここまで平均的になかなかに狭い道だが、その中でも路肩にポツンと立っているデリニエータがなかなか哀愁を誘う。特にここのデリニエータは路面が崩れたわけでもないし、補修を受けているわけでもないし…と、設置されたその理由をあれこれと考えてしまうが、どうもわからない。というわけで、とりあえずこのデリニエータをしっかり愛でておいた(笑)

第3部
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