新潟県一般県道440号
麓野積線 第10部
「搦手道と大手道」
2023年8月12日 探索 2023年11月15日 公開
搦手道と大手道
あの立派な祠から少し進むと、こんな石碑が現れた。道の入り口であることはわかったが、これはなんと読むのだろう。さて、この道の名前は…。だが、この漢字はどこかで見たことがあるような気がする。スマホも電波がなく、現地でしばらく悩んでいると…
そうだ、思い出した。搦手(からめて)道だ。搦手(からめて)とは城や砦の裏門を指し、陣地などの後ろ側という意味もある。これに対して表門は、皆さんも聞いたことがあるかもしれないが「大手門(おおてもん)」だ(追手門とも書く)。てことは、この近くにお城があったことになるが、そんなところあったっけか?。…あ、そういえば…
実は、先ほどの「林道記念」の標柱型の石碑の裏に、更に上に上がっていく林道があると書いたが、その林道を少し上ってみたりしていた。そこにあったのが、この案内板。弥彦村大字麓字要害にあったというこの黒滝城、「要害(ようがい)」とは地勢が険しく敵を防ぐのに適している所という意味を持つことから、戦略的に重要な城だったと思われる。てことは、この「搦手道(からめてみち)」は、この黒滝城の裏側に出る道ということか。すると、この先にはもしかして「大手道(おおてみち)」があったりして。そこで山側の斜面を見てみると…
ふむ、これが搦手(からめて)道か。細くて、どこにでもある登山道だが、歴史の裏打ちがされると途端に立派な道に見えるから不思議だ。だが、その道の勾配は等高線をまるで無視した上り方をしている。こういう道を見るのは実に楽しい(笑)。
なぜかって?。普段、現代の道や昭和・大正・明治の道ばかり見ていると、おおよそ車道に行き着く。車道は距離は長くても勾配が緩やかで、牛車や馬車が上りやすい道なのだが、そういう道はこんな上り方は絶対にしない。つづら折りの道になるはずだ。
いやーこの道上りてー(笑)
…時間があったら絶対に上っているところだ。
搦手道を後にして、先へ進んでいく。途中(これまでもそうだったが)右に左に沢を跨ぎながら麓集落を目指している、この道。水の流れと広葉樹が作りだす日影が、この周辺の気温を一気に下げているようで、ここは非常に涼しい。その昔、今と違って空冷エンジンの車が存在していたころは、この道はしっかりエンジンが冷えて楽しかっただろうなぁ。
さて、搦手(からめて)道があったってことは大手道もあるはずで、この道から分岐しているのかは不明だが、あると楽しいな、などと思いつつ先へ進んでいると…
道の右側から川を渡って、その川沿いに山中に分け入っていく、こんな素敵な道を見つける。左の看板には「南沢清水・滝の道」とあり、この先へ進むと滝があるようだ。そういえば、滝と言うと「黒滝と言う滝が城の名前の由来になっている」と、さっきの城の案内板の文章の最後の方に触れてあった。そうすると、ここから入って先にあるのが黒滝か…行ってみたいのは山々だが、あいにく今日は車で探索していて、山に突っ込んで行く装備を何も持っていないので、やめておいた。機会があれば再訪し、滝を眺めることにしよう。…それにしても、なかなかそそられる道だな(笑)。
滝に分岐する身を見送ると、すぐにこんな広場が現れる。さて、ここはいったい…?。場所からするに、ここはおそらく田圃か畑の跡だろう。その昔、ここで耕作がされていたということだ。当然、麓集落の方々だろうが、それでもここまで上がってくるのには結構な距離がある。この県道は、もともと林道だったとすると、林業が最盛期のころの昔には、多くの貨物車の往来があったことだろう。そうすると、車で麓から上がってきて耕作していたのか…。城の看板にも記述があったが、この辺りは昔から綺麗な水が湧き出していたと聞く。その水で作った米は、さぞかし美味い米だっただろうと思う。
さて、大手道はどこかな?。空は峠の「日天月天塔」のあたりから比べると、随分と高く感じるようになってきた。そんなに距離を置かずに、麓集落に辿り着くだろう。
その前に「大手道」が分岐しているといいな。