新潟県一般県道227号
室谷津川線 旧道 第14部
2021年5月8日・2021年6月2日 探索
2021年9月2日 公開
渓谷のような美しさを持つ川
前回の最後の地点、「右直角、左直角」の場所から、少し振り返ってみた。右側には常浪川、陥没した路面に溜まる雨水など廃道の雰囲気が漂っているが、前半の1t袋のバリケードで閉鎖されていた道と違って、ここは閉鎖されていない現役の阿賀町道だ。
濃い緑に少々(?)荒れた路面の旧道、人間の手が入っていない、自然そのままの姿を持つ常浪川の風景など、ここから眺めているだけでも絶景と言ってもいい。だが、常浪川に沿って点在する集落の方々にとっては、現道が開通するまではこの道が唯一の生命線の道だったのだ。だがその道は、これまで見た道の様子を思い返してみても、災害のオンパレードだったかも。
踵を返して、県道の終点目指して旧道を進んでいく。緑深き風景に溶け込む旧道は常浪川の流れと山々の等高線に沿いながら、室谷集落のはずれにある県道の終着点を目指していると、大きくカーブした先に橋を見つける。
ここから見る限りでは、ありふれたコンクリートの桁橋のようだ。しかも高欄がガードレールで、いかにも「量産型橋」と言うような風貌を持つ橋だ。その橋の上方には4本の杉が非常に目立つ形で立っている。街道の時代には、あの木々が何かの目印になっていたのか。
その橋の袂までやってきた。ここから上を見上げると、現道の橋が架かっていた。手元の地図で確認してみると、この現道の橋は終点に辿り着く少し手前にある橋のようで、地図上にはその名前はなかった。この旧道の橋には銘板がついているだろうか。
また、この旧道の橋は小さな沢を跨いでいる。この沢の名前は地理院地図で見ると「室谷沢」の名前があり、室谷地区の名前のもとになった名前かもしれない。ところで、道が右に分岐…しているよね、これ。なんだろう。地図で確認してみよう。
拡げた地図を見てみる(実際に使用した地図ではない。実際の地図はあれやこれやと汚い字で書き込んでいて、書いた本人が今見返しても、さっぱりわからない(笑))。これを見ると、室谷沢には地図上にこれだけ大きく描かれる砂防堰提が三連続で造られているようだ。この砂防堰提へ向かう保守道が、さっきの右に分岐する道だろう。ただ、その道は御覧の通り激しいヤブに包まれており、通るだけでも苦労しそうだ。とりあえず今回は突っ込むことはしなかった。また、旧道上の橋には銘板などは付いておらず、結局橋の名前は不明となってしまったが、これは後日の机上調査か、もう一度再訪して確認することにしよう。
常浪川の脇を、終着点に向かってひたすら進む旧道。路肩に立っている40キロ速度制限の標識は斜めに傾いてはいるものの、その規制内容をこの旧道を走る車に今も伝え続けている。こういった、言わば「取り残された道路構造物」を見ると私はどうも感情移入する癖があって、よろしくない。視線をずらすと正面の遥か向こうには雄大な山々が見える。あれを越えると、その先は福島県の本名だろうか。いやぁ、思えば遠くへきたもんだ(笑)。
と言うことで、これまで通ってきた道を振り返って確認してみる。ここからだと、あの有名な(?)「左垂直、右垂直」の地点がよく見える。いやぁ…ここから見ても凄いところに道を通したもんだと、尊敬すら抱く想いで私は眺めている。
また、ここだけ川幅が狭くなっていることも、特筆しなくてはいけないだろう。川幅が狭くなっている分、増水時にはここだけ一気に水深が上がるはずで、その際には旧道も水没していただろう。
チェンジ後の画像は、ズームレンズで狙ったものだ。これを見て改めて発見したのだが、県道の常浪川側の擁壁が一部失われており、土砂崩れが起きた跡のように見える。また、同じ地点の山側を見ても崩れたような跡が見えるため、土砂崩れが起きたことは間違いないだろう。どうやらこの旧道、災害と隣り合わせの非常に危険な道だったようだ。
と思ったら、少し先に進むとこんなに長閑。自転車に乗ってはいるが、ここは降りて口笛でも吹きながらゆっくりと歩きたい道だ。県道にしては道幅が少々狭いようにも感じるが、車1台分の幅もないような県道も知っている身としては、実に広く走りやすい道と言える(笑)。
(車1台分の幅もないような道 → )。
ここから後は、左に常浪川を見ながら終点まで長閑な道が続くはずだ。たぶんきっと。
これまで様々な顔を見せてくれた、この227号旧道と常浪川。
ここまで来ると、もうそんなに変わった顔はないと思うんだけど…ねぇ?