新潟県一般県道227号
室谷津川線 旧道 第13部
2021年5月8日・2021年6月2日 探索
2021年8月29日 公開
左垂直、右垂直
崩落地点を確認したので、踵を返して先へ進もう。前方に見える右側への分岐点が、私が崩落地点を現道で迂回して旧道に降りてきた道だ。直進は終着点の室谷洞窟に続く旧道で道幅も狭く、一見すると未舗装の砂利道のようなやや荒れ気味の道(実際はアスファルトで舗装されている。傷んではいるが)が続くが、さてどうなるか。道の脇の緑もこれまでより濃くて、旧道(と言うか廃道)の雰囲気が色濃く漂ってくる。
楽しみだ。
左は常浪川。わかっていただけると思うが、川の水面から路面まではかなりの高さがある。この高さの分は、ほとんど直角で川に落ち込んでいる。つまり、左側の弛みきったガードレールの外側は崖なのだ。右側は岩肌が露出する崖になっていて、路面に散乱した落石を路肩に寄せてある。その量は結構多く、常日頃から落石が多発する地帯のようだ。その石を見てみると、断面が固くとがってナイフの刃のようになっており、車やバイクなどのタイヤに当たる角度が悪いと、パンクするか裂けるかする石だ。私も今は自転車に乗っているので、注意して進む。
うおっ!何だこりゃ!
左側は常浪川で、路面から川の水面まではスパッと落ちている。まさに直角。弛みきったガードロープの外側は崖だ。対して山側は御覧の通り垂直の壁。つまり、この区間は左右が直角に囲まれているのだ。そして、常浪川の川幅がここだけ極端に狭くなっている。と言うことは、大雨が降った時はここだけ水位が極端に上がるはずで、落石と並んで常浪川の増水も危険だっただろう。
こういったところに通っている道は開削して通した道ではなく、自然の地形を巧みに利用して通された道だ。つまり、この区間はもともとこういった地形だったことになり、見事と言うほかない。ゆっくりと、もう少し進んでみよう。だが、その前に…
こいつを見ておこうじゃないか。おそらくはこの道が開通した際に設置され、その時からここにずっと私たちに警戒のサインを送ってくれているであろう警戒標識。本標識の下に補助標識で「落石注意」とダメ押しされているところを見ると、落石が頻発していたと言うことは想像に難しくない。
最初は白かったであろう標識柱の表面は赤く錆びつき、そこに絡みついたツタ系の植物。背後に見える常浪川の景色も素晴らしい。自然そのままの川の風景は、都市部を流れる川では絶対に見れないものであり、その姿は実に美しい。今でも見れてよかった。
間近で見ると、その迫力に圧倒される。自然の地形を利用して通された道。この旧道は、おそらくは会津沼田街道の間道、会越街道だったであろうことを考えると、古くから多くの人々がここを通っていたことになる。その当時も、その後に県道となってからも、いつ落石が発生するかわからない難所だったことは想像に難しくない。
ところで私は「一般国道49号 七折峠 旧旧道編 第10部」で、1611年9月27日(旧暦の慶長16年8月21日)午前9時ころに発生した慶長会津地震によって起きた1キロにも及ぶ山崩れで全面通行止めとなって廃道となった、越後街道の勝負沢峠の道を「下に阿賀川の急流絶壁、上は急峻断崖の、まさしく「上は垂直、下も垂直」と言う冗談みたいな道で、風雨降雪の季節は通行するのにも特に難儀した」と書いたが、ここはそれを再現していると言ってもよく、ここも風雨降雪の季節は通行するにも難儀していたことだろう。
室谷集落の方々は、その時はどうされていたのか。天候次第によっては孤立していたかもしれず、特に冬の降雪期のことを想うと、筆舌に尽くしがたいものがある。
下を除くと、この常浪川の流れ。見よ、この深淵なる流れを!。川底が深くて見えない、水の侵食によってできた流れと川底は人間がとても造りだせない複雑な地形をしていて、自然の力と偉大さを教えてくれる。この川岸へ降りてみたいものだが、ここに降り立つには川から船で降り立つしかない。ここはやはり上から眺めているだけが一番綺麗かもしれないなぁ。
自然が創り出した壮大な風景を大いに楽しんだ後は、終点目指して進むのみ!。右側の崖の高さはやや低くなったものの、それでもここはまだ「右直角、左直角」の世界だ。左側にはお決まりの弛みきったガードロープ、山側には細かいが落石の残骸もあったりする。
旧道はここで常浪川とは距離を取り、県道の終点目指して進んでいく。ここから県道終点までは、さほど距離はないはずだ。
さ、あと少し!