一般国道49号旧道
鳥井峠
2019年7月5日 探索
梅雨真っただ中の、7月のある日。
図書館から借りてきた資料を基に、榎峠・比礼隧道の原稿を書きながら次の探索地を探していたところ、峠の白看板が写っている一枚の画像に出会った。直感で「ここに行きたい」そう思った。
その峠道の名前は、鳥井峠。
越後と会津を結んでいる越後街道の峠であり、別名を会津街道とも呼ばれるこの街道は、現在の福島県の会津若松市と新潟県新発田市を結ぶ重要な街道だった。古くはこの峠を経由して越後の海産物であったり、塩などが会津地方に運ばれたとされている。
この街道は越後と会津の境にある越後山脈を抜けるために多くの峠があり、会津側から鐘撞堂(かねつきどう)峠、束松峠、車峠と続いて、この鳥井峠、惣座峠と、峠が連続した道だった。その中でもこの鳥井峠は越後と会津の境の峠で、多くの旅人や商人たちが通った道であろうことは想像に難しくない。
この時代の「旧旧道」とも言うべき越後街道の鳥井峠は、現在の国道49号(現道)や、これから紹介する旧道の鳥井峠よりも少し外れたところを通っていた(この鳥井峠旧旧道の入口も探索中に発見しているが、これは後に紹介する)。旧道の鳥井峠はそれより少し手前を通っているし、現道の鳥井峠は旧道よりもさらに北側を通っている。
また、これは余談だが、かの土木県令と言われた三島通庸が会津三方道路(あいづさんぽうどうろ)として1884年(明治17年)に車道を切り開いた際に、旧旧道が通っていた鐘撞堂峠・束松峠は経路変更となり、七折峠・藤峠経由の道に改められて開通している。この二つの峠は現在、鐘撞堂峠は福島県一般県道43号会津坂下山都線が、束松峠は福島県一般県道341号別舟渡線がそれぞれ通っているが、越後街道時代の道ではなく、ここも若干経路が変わっているようだ。
さて、この道は戦後に「一級国道49号」に指定されるが、その後日々増大する交通量に道路が対応出来なくなってきたため、大規模な改良工事が行われることになる。これが国道49号の一次改良工事で、旧道の鳥井峠の北側に新道を開削する工事が行われ、昭和46年(1971年)10月に開通式を迎えて新道(今の現道)が開通すると、それまでの鳥井峠は旧道となった。この時に、ここでも紹介した「音無川右岸道」も改修され、現道の道筋となっている。その後、この鳥井峠の旧道は非常に荒れてしまい、草に埋もれてしまっていたのだが、2008年より旧道の再整備がされて整備が進み、現在に至る。
今回、私が探索する際には再整備されてから11年の月日が流れており、再整備されてまた放置されていたならと考えると、果たして通行できるかどうか非常に不安だったが、結果は非常によく整備された道となっていた。通行しやすくて探索している気分にならないほど(笑)旧道らしからぬ旧道だったが、それでもやはり旧道らしい、非常に美しい風景も目にすることが出来た。
この鳥井峠付近の旧道は実は峠手前から始まっており、福島県側にある現道の車トンネルの直後から分岐すると、川谷集落、白坂集落と宝川集落を通り、一旦は現道に同流する。その後、現道を走ると鳥井大橋の手前で左側に分岐する、一見すると整備された林道のような道が現れるが、これが鳥井峠へ向かう旧道である。
今回はこの福島県側の鳥井大橋の手前の分岐する地点から、新潟県側の八ツ田集落までの旧道を辿った。今回の探索は車と自転車を併用して行ったが、天気が良い日は自転車がおすすめである(マウンテンバイクタイプがおすすめなのは言うまでもないが)。
さあ、それでは行ってみよう。
今から135年前に拓かれた
多くの人と荷が通った
歴史ある旧道へ。