一般国道49号旧道
鳥井峠 第4部

2019年7月5日 探索・2019年7月27日 公開

第3部の最後で、私は何を見つけたのか。いきなり自転車を止めた私は辺りを見回して…見つけた!。それがこの画像だ!。皆さんにも見えていると思う。路面の右端にU字側溝が見えるだろう。私が自転車を止めた原因はこれだった!(←やっぱり、理由は大したもんじゃなかった(^^;)
でもでも、この道のここまでで初めて見たU字側溝。いつからここにあるのかはわからないが、もし現役時代のものだとすれば、貴重な遺構である。

角度を変えて、もう一枚。なかなか年季が入ったU字側溝だが、そんなに古いものではないかもしれない。もしかすると、旧道になってから設置されたものなのかな?。普通はあるだろう蓋もないし…。ちなみに反対側の路肩には、このU字側溝はなかった。

森の中を駆け抜ける道。路面はここだけ多少ぬかるんで(と言うほどでもないが)いた。とはいえ、私の自転車は普通に進めたので、マッディーと言うほどでもない。また、この峠を通っていると、ところどころにこうして日陰の部分があるので、探索した時のような暑い季節には通っていて非常に楽だし、助かる。

森を抜けると、道はつづら折りで更に上に上がっていく。この辺は結構急な勾配だ。(峠もそろそろ近いかなぁ)などと思いながら、のんびりと進んでいった。刈った草が積み上げてあるのでわかりにくいが、ここでも路面左側にはU字側溝が見える。

勾配も少し緩やかになって一息つき、緩い弧を描きながら次のカーブへ入っていく。ここなんかは当時の道幅を思い起こさせてくれる。そう、ちょうど右側の木の路面側の端あたりまでが、自動車が通り始めた当時の道幅だっただろう。正面から「スバル360」などが走ってくると、実に絵になる風景である。

森の中を緩やかなカーブを描いて頂上を目指す旧道。左端にU字側溝が見える。ここだけは日差しがあまり差し込まず、鬱蒼と言うほどではないが森に囲まれて薄暗い、旧道の雰囲気を十分に醸し出している。一言でいうと…「いいねぇ」である(笑)。こういう道は大好き(^^)

結構急な勾配で峠目指して上がっていく。路面の左側にはU字側溝があって、今でも役割を果たしているようで水が流れている跡があった。もうすぐ頂上は近いか?。ネットで見た、この峠の風景に魅かれてここまで来たが、そのゴールはそう遠くはないようだ。路面が少しぬかるんでいるので、それなりの抵抗を感じながら峠目指して上がっていく。

近い!近いぞっ!峠は近い!

単なる直感だが、道から見る空を見ても、おそらくもうすぐだろう。計算外で、ここまである意味では怖いほど順調に峠道を上がってきた。私もさほど経験はないが、その少ない経験の範囲内では一番の順調で上がってきた。この先は左カーブ。おそらくはそのカーブを越えると頂上だろう。

来た来たっ!

おっ!、事前に調べてあると聞いていた電波塔がある!。そうすると、私がこの峠を訪れる一番の目的になったアレがある。ここからじっくり眺めてみると、電波塔の右側にさび色をした何かがあるではないかっ!。ここまでの道のりで足は疲れてるはずなのだが、思わず自転車を漕ぐ足に力が入る!。

背中を向けている、あの表示板!。彼は国道49号の一次改良が行われて現道に切り替わった昭和46年10月から、なんと50年弱の間(ちなみに私は昭和46年製造である)ここに立ち続けていたのか!。その間、誰に見られることもない時間も永くあっただろうが、生まれつき与えられたその役目を果たすべく雨の日も風の日も雪の日も、ここで一人でその役目を実直に果たしてきたかと思うと、なんだか泣けてくる。私が出来ることは、その姿を永く画像として収めること!。

これだ!あった!

これが懐かしの白看板!。私はこれが見たくてここまで上がってきた。見よ、この貫禄!。よくぞ今まで倒れることもなく落下することもなく「ここから福島県ですよ」と言うことを表すためだけに、今まで風雪に耐え偲んできたものだ。越後街道として馬車や牛車が通れるように三島通庸に開かれ、その後2級国道115号として活躍してきて、その重要性から1962年(昭和37年)5月1日に一級国道49号に昇格したこの道。この道の歴史を改めて感じてしまった。

ここを過ぎると、あとは新潟県側の八ツ口集落を目指すのみだ。
その前に、少しこの周辺を観察してみよう。

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