一般国道49号旧道
鳥井峠 第1部

2019年7月5日 探索・2019年7月15日 公開

それでは、今回探索する場所を地図で確認してみよう。

国土地理院の電子地形図(タイル)に注釈を追記して掲載

これは現地付近の現在の地図である。左が福島県、右が新潟県になっており、今回の探索は福島県側から行った。これは偶然か、旧道の福島側(宝川集落側)と新潟側(八ツ田集落側)の両方に水準点がある。また、八ツ田側は集落に入るとすぐに車道になっているところも注目。と言うことは、ここまで車が通れる。すると、他の部分の道も十分に自転車で通行できる可能性が大!。

ここは鳥井峠の福島側である。画像の中央付近、ガードレールが切れたところが見えるだろうか。これが、鳥井峠の福島側分岐点である。御覧のように、私が探索した際は車道の拡幅工事中で、車線規制がされていた。その幅から、おそらく登坂車線を作っているのだろうと思うが、1971年10月に第一次改良工事が終わってからも、このように工事が重ねられている道なのである。画像には警備員さんの姿は写っていないが実際には交通誘導をされており、この画像は見えなくなる一瞬のスキを突いて撮影させていただいた。では、この入口から旧道に入ってみよう!。

これは進入してから少し走ったところで撮影した。ここまでの区間は路面も舗装されており、普通に走れる高級な林道みたいな感じがして、正直に言うとこのまま八ツ田集落まで走れるのかな?と、あらぬ思いを抱いてしまった。それは楽だが、楽すぎる。せめて途中で路面が荒れるとかしないと、面白くないではないか(笑)。などと、思いながらふと右を見ると…

おお!、なかなかの良い沢の風景ではないか!。奥には砂防ダムと言う人工物が見えるが、その人工物も自然に飲み込まれて溶け込み、自然の一つとして受け入れられているように見える。こういうところには、多分野鳥たちも水場として訪れるだろう。朝方には水浴びしたり、水を飲んだりする光景が見れるかもしれない。やはり自然の力は非常に偉大と言うことを、思い知らされる。

先ほどの沢の地点から少し上がると、右側に工事の資材置き場が現れた。職人の方々が休憩されており、ひと声かけてから旧道に入る。これはその入口の風景。私はこの風景にまず感動した。現役時代よりも恐らくは少し狭いだろうが、その道幅は十分に想像できる手入れの方法。草がきれいに刈られて、この旧道が大切に手を入れられて管理されていることがハッキリとわかる、里山の風景である。

路面のダブルトラックはご愛敬。しかし、ここが旧道と言うことを考えると、路面の二本筋はあって当たり前かもしれない。だが、この緑に囲まれた道は非常に美しい。昔は国道49号、どんな人々が通っていたのか。村人か商人か。自動車もここを通っていたはずで、現道のように高速で峠を越えるのではなくて、ここではきっとゆ~っくりと峠を越していたはず。

ここなんか、結構道幅が広いような気がする。いや、刈り取られた道幅もそうだが、それ以外の想像で「ここは元々は道幅なんだろうなぁ」と言う部分を想像してみると、なかなか広いんではないだろうか。当時の国道は路面は舗装されているところは一級国道の内の一桁番号の国道のわずかで、他は砂利道だったりする。なので、この道の路面が砂利道でも、まさしくここが国道だったのだ。

明るい峠道の左カーブ。ゴトゴトと音を立てながら当時の車がゆっくりと上がっていったりしていた。それ以前には馬車や牛車が荷車を引きながら、のんびりと上がっていった風景が目に浮かぶ。この辺りには杉の植林もなく、里山の中を峠へ向けて上がる旧道の風景が色濃く残っている。しかし、いかんせん日差しが強くて暑い。早いけど、少し日陰で休憩するかと思い始めたところへ…

これは嬉しい日陰!

探索当時は梅雨にも関わらず天候がよく、汗ばむくらいの陽気だった。峠道と言うことで山中に入るので、衣類は長袖を着ている。一応、発汗性が良くて薄い登山用の長袖を着てはいるが、それでも暑い。おまけに背中にはリュックタイプのカメラバッグを担いで自転車で登っているので、苦行以外の何物でもなかった。あまり進んでいないが、ひとまず休憩することにしよう。日陰に自転車を止めてひとまずリュックを下ろし、あらかじめ買ってあったスポーツドリンクを飲んで休憩していると、さわやかな風が吹き抜けてクールダウンしてくれる。この峠を歩いて上がっていた人たちも、同じ思いで休憩していたのか。
先はまだ長い。あまり体温を上げないようにして、ゆっくり上がっていこう。

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