一般国道403号
大貝トンネル旧道
第5部

2022年7月24日 探索 2023年2月28日 公開

小さいアイツと鎮守さまっ

さて、大貝の集落に入ってきた。いつも思うことだが、私は集落の撮影には向いてないと思う。集落を貫く生活道の真ん中で、カメラのレンズを向ける気にはどうしてもなれないのだ。だから、私のレポートには集落内を撮影した画像が極端に少ない(と言うか、ほとんどない)。これはその中でも撮影した、集落内唯一のバス停、その名も「大貝」。そのバス停を前にして探索中にも関わらず、ここで一つ気になったことが。なぜこんな山の中なのに「大きな貝」と言う地名なのか。早速スマホを取り出して角川地名大辞典で調べてみると…(以下、要約である)

この周辺は信濃川支流の渋海川の河岸段丘で、この先の三桶分校の付近が元々の大貝の集落地だったそうだ。それより前の大貝の集落は主要地方道56号小千谷大沢線の最終目的地だった榎峠の近くの森にあったらしい。地名の由来は大峡(おおがい)。大きな峡谷と言う意味だろうか。
大きな峡谷や河岸段丘、渋海川と言えば、主要地方道56号の探索の中間地点である西山橋を思い出す。榎峠もこの大貝の集落も同じ高田街道の脇往還に関係するから、何となく親近感を感じる。

大貝バス停の時刻表を見てみる。コミュニティバスで一日6往復程度。これが多いか少ないかはわからないが、探索中にはこれまで「一日2往復」なんて所もあったし、中にはバスが来ないバス停もあったので、それからすると遥かに多い方と感じた。また時刻表を見る限りでは、ここに来るバスは小国方向からやって来て折り返すようで、このことからこの集落の生活圏は妻有郷(現在の十日町市)ではなく、山を下りた先の小国郷(現在の長岡市)であるようだ。

ここは集落を抜けた先、現道との合流点の近くだ。この付近の直前までは集落であり、右側の赤い建物は農機具小屋か車庫で、この地域のこういった建物によく見られる、屋根が円形をしている。私も知人のご厚意で、こういった車庫に実際にクルマを入れてみたことがあるが、中は意外に広くて天井が高いので、長いもの(梯子とか)が収納しやすく使いやすい。また、天井に雪が積もらない(積もっても円形なので、自然に両側に落ちる)ので、雪かきの手間も省ける。なかなか考えられているものだ。
道の脇には夏でも伸ばされたままのスノーポール。除雪で斜めになってしまったデリニエータ。雪国ならではの風景が続いている。

さて、ここが合流点。左右に走る手前の道が現道だ。ここを横断しても、まだ大貝の集落の中。手元に持ってきた地形図を見てみると旧道はこの先で渋海川を渡るが、その先が三桶の集落だ。相変わらず細い道幅はどうやらこの先も変わらないようで、この先に横たわる渋海川に向かって下っている。さ、左右をちゃんと確認して渡ろうか。交通量は少ないが、横断歩道もないので注意深く横断しなくては。

あまりクルマが来ない現道を渡って少し先に行くと、こんな道の風景に出会う。一見、何の変哲もない道の風景だが、よーく見て頂きたい。何か変なところがないだろうか。

ここは豪雪地帯。冬になると数メートルの雪が積もる地域、除雪をしなければ、道は雪に埋もれてしまう。しかし除雪をするのは路面だけで路肩は雪が積もる上に、場合によっては飛ばした路面の雪を路肩に飛ばす時もある。それにも関わらず、だ。

標識の高さが低くないか?

私設標識ならともかく、確認したが設置者は新潟県で立派な公設の標識だ。正直に言うと、私の身長よりも低い。「折つづらあり」と「勾配あり」、これが雪に埋もれてしまうとなると、なかなかに困る標識じゃないかと思う。標識のサイズは普通のサイズよりも一回り大きいのに、背は低い。こんなのはあまり見かけないので、つい何枚か撮影していたのだが…

この道の右側に、低い石組みの壁があることにお気づきだろうか。賢明な皆様なら「この上に道があるんじゃないか?と思われる方も多いと思うが、その通り。実はこの地点の直前に、印象的な分岐があった。その分岐というのが…

もしかして旧旧道?

これは突っ込んで行かないといけないだろう!。
…でも、この付近の旧版地形図は何回も見たが、この付近に渋海川と反対方向に入っていく旧道なんてなかったはず。それに路面を見たところ、下草の高さが綺麗に揃っている。きちんと下草を刈りこんでいないとこうはならないので、少なくとも廃道ではない。改めて手元の旧版地形図を確認してみると、この付近の山中に「大貝社」と言う名前の神社があるようだ。もしかしてこれかな?。

次回、このアヤシイ道の奥へ入っていく!。

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