新潟県主要地方道58号
小千谷大和線
一村尾トンネル旧道 第10部

2023年4月22日 探索 2023年9月16日 公開

切り通しか、隧道か

思えば遠くへ来たもんだ…と思って前を向けば、この風景が広がった。どうやらラスボスまではまだまだ少し距離があるらしい。山側の急斜面が作り出す日影がこの辺りの空気を冷やしているのか、この辺だけ適度に涼しくて火照った身体に気持ちいい。

ここも廃道区間。よくよく辺りを観察すれば、前方が切り通しになっているのがわかる。この区間、おそらくはここに道を通す際に掘って切り通したのだろうが…ここに理想的に道を通すなら、やはり隧道一択じゃなかっただろうか(笑)。

今、この道に立っていると、しみじみと思う。ここに隧道が一本あれば、大いに盛り上がったことだろうと(笑)。その道の状態は、路面は濡れているものの、県道だったことを主張するようにちゃんとアスファルトが残っていた。

少し先へ進むと濡れた路面は消えて、ここが廃道とは思えない乾燥したアスファルトの路面が顔を覗かせる。道幅は1.5車線を言ったところか。道はここも切り通しで越えているが…もしも隧道だったら土被りも十分にあるだろうし、やはりここには隧道の方が良かったんじゃないかと改めて思う。

ところで、道を造る際に隧道を掘るよりも、切り通しにした方が工事費が安いと聞いたことがある。小川氏がこの道を通す際に、費用の面で苦労されていたとの文献もあり、もしかするとここが切り通しで越えているのは、そういった費用の側面もあったのかもしれない。

さて、切り通しを越えたカーブの先はとても明るいようで、標高的にはもうそろそろ隧道に到達するはずだ。今度こそ、カーブを越えたら一直線で隧道だろうか。

素晴らしい!

山深い場所に穿つ、田中角栄氏が「昭和の青之洞門」と名付けた隧道。その隧道は、その自らの名前から想像される坑口の風景とは全く違い、非常に明るい場所に穿っていた。山を削り、切り通して一つ一つ通した道。バスが走り、小屋があり、多くの人が通り初めをしていた、あの場所だ。そこに私はもうすぐたどり着く。車1台が通るのがやっとの道は、まるで山に挑むかのように正面から突っ込んで行くようで、実に潔い。この隧道直前の道の風景が私は大好きだ。そして、この道もその期待を裏切ることなく、素晴らしい景色を見せてくれていた。

何のためらいもなく、山を突き抜ける場所へ一直線に進み続ける道。そして、その先に穿つ「青之洞門」の別名を持つ後山隧道。だが、この隧道の特徴的なところは、坑口の周辺がやたらと拓けていて解放感抜群なところだ。「青之洞門」と言われているものだから、さぞかし鬱蒼とした森の中に坑口があるのかと思っていたのだが、正直これには拍子抜けしてしまった(笑)。
道幅は非常に広くて、2車線はある。普通車が十分に行き違い出来るくらいの道幅だ。この道を車輪がついたものが走るのは、どれくらいぶりだろうか。そこを私は自転車で走っている。

いよいよ坑門だ!

と、その前に、坑門の左側の妙にだだっ広い空間は何だろう?。それに、左側は坑道が露出しているような状態ではないか。以前の画像(後山隧道開通当時 1962年)を見てみると、坑門直前の左側は一段低くなって、その奥は暗くてよくわからないものの、今のように平地にはなっていなかったように見える。さて、これはいったい…?。

一つ思い当たることはあるが、それは後ほど調査編で解明するとして、今は隧道の探索だ。と、ここでふと気になって後ろを振り返ると…!

おお!絶景!

正面に見える山は駒ケ岳あたりだろうか。隧道を抜けた後にこんな風景が見えたら、それはもう最高だ。抜けるような青空も、またいい。よく考えてみると、標高がさほど変わらないこの旧道のすぐ脇を現道も走っている訳で、見える景色は現道も旧道もそんなに変わらないと思うのだが、旧道から見える景色の方が美しいと思うのは気のせいか。

この景色はここからしか見れないもの。今、背にしている後山隧道に入ると、今日の探索は終わりだ。ここから離れがたい気も少しするが、目に焼き付けて、カメラに収めて、後山隧道に入ろう。

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