新潟県主要地方道58号
小千谷大和線
一村尾トンネル旧道

2023年4月22日 探索 2023年7月30日 公開

後山に繋がる道

新潟県主要地方道58号小千谷大和線。
ここでも一度未開通区間で登場しているが、今回はその未開通区間の続きではなく、主要地方道59号大和焼野線との交点からのレポートである。主要地方道59号と言えば後山トンネル旧道のレポートがあるが、この一村尾トンネル旧道のレポートは後山トンネル旧道のレポートと話が繋がっている。単体でも充分にお楽しみいただけるとは思うが、後山トンネルのレポートを先に読んでいただくと、より楽しめると思う。

⇒ ⇒ ⇒新潟県主要地方道59号大和焼野線 後山トンネル旧道のレポートへ

では、さっそく地図を見てみよう。おなじみの地理院地図である。

国土地理院の電子地形図(タイル)に注釈を追記して掲載

既にレポートになっている後山トンネルの旧道から現道を南魚沼市方向へ降りていくと、すぐにトンネルがある。これが一村尾(ひとむらお)トンネルで、今回のレポートはこの一村尾トンネルの旧道という訳だ。後山トンネル旧道のレポートを御覧いただいている方はわかっていただけると思うが、このレポートの最後で後山隧道が目の前にあるにも関わらず、私が隧道の中に入らなかったのは、この一村尾トンネル旧道の探索で後山隧道も一緒に探索しようと思っていたからだ。
「隧道が目の前にあるのに、なぜコイツは探索をしないんだろう?」と不思議に思われた方がいたら、それはこういう訳だったということを弁解したい。

さて、現地。とは言っても、今は後山トンネル旧道の探索を終えたところで、探索のベースとなっている後山隧道から続く短い市道の端っこに車を止めて、これから始まる一村尾トンネル旧道の探索に向けて仕切り直しをしているところだ。

あらためて後山隧道を眺めてみると、南魚沼市の「トンネル個別施設計画(R5.2更新)」の後山隧道の欄に記載されていたとおり、

「後山隧道は構造物の機能に支障が生じており、早期措置段階にありますが、路線の重要性等を勘案し、路線の供用を廃止しています。今後、供用の変更をする予定がないことから、後山隧道は本計画(要は改修の計画)の対策対象から除外します」

…と言うことで道路としての供用を中止していて、それに伴ってかどうかはわからないが後山隧道もフェンスがしてあって、通行止めの処置が取られている。

後山隧道を正面にして、ふと右側を見てみると坑門の翼壁の脇に、落ちてきた土砂に(雪かもしれない)半ば埋もれた玉石積みの石垣が見える。これはおそらく1962年(昭和37年)12月に新潟県道焼野浦佐線として開通したころのままの石垣だろう。その当時の写真を後山トンネル旧道第15部の中で紹介したが、こちら側の坑口もきっと賑やかだったことと思う。その当時はここをボンネットバスが実際に走っていたのだ。

今回の探索の起点となる後山隧道の前で一村尾トンネル側を眺めてみると、隧道前の路肩にこんな不思議なスペースが残されている。この地点は59号大和焼野線の起点であることから、58号と59号の分岐は後山隧道から出てきて現道を横切るこの地点と思われる。なもので、このスペースはおそらく58号の旧道の路盤だろうと考えた。
よく見ると、奥は一段高くなっており、手前と奥で別々の道だったことも考えられる。奥が58号で、手前が59号だったりしてね(←そう考えた理由も確証もない)。

これが現道の一村尾トンネル。2000年(平成12年)11月開通の、比較的新しいトンネルだ。このトンネルが開通したことで、後山隧道が県道指定から外れて南魚沼市道となった。後山隧道からすると、自らにとどめを刺した宿敵のトンネルだが、それは私たちが想像で言っているだけで、本人たちは至って平和に過ごしているのだろうな。意外と「私は小川氏と共に道を切り開いた。あとは頼んだぞ」と後輩の一村尾トンネルに言っているのかもしれない。

さ、探索を始めようか。自転車に跨って、下り坂の現道(主要地方道58号)を一気に分岐点まで下る。一気に下れて気持ちいい瞬間だ。だが、下りがあれば上りもあるわけで…

一村尾トンネルを出て、旧道の分岐点に到着。ここから左に分岐する、素敵な黄色と黒のシマシマのブロックが置いてある道が旧道だ。実に素敵なシチュエーション。「車は入れませんが、歩きなら通れますよ」と言わんばかりのブロックの置き方に非常に萌える(笑)。
ここから左に入る道に何が待っているのか。楽しみで今からワクワクする!。

さぁ行こう!

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