新潟県一般県道546号
駒込北潟線
 第4部

2019年9月18日 探索・2020年10月17日 公開

峠目指して一直線に登っていく県道。ここは右側に側溝がちゃんと整備されているところを見ると、後年に舗装された区間のようだ。それに未舗装時代は道幅もっと狭かっただろうということを思うと、よくぞ沖見峠のように未開通区間の扱いにならなかったものだと思う。ところで、こうして撮影するとなかなか勾配がわかりにくいが、実際はかなりの急勾配だったりする。よく見てもらうと、道の雰囲気と周りの景色などで勾配を感じ取ることが出来るかもしれない。

さっきの一直線の急勾配を登り切ると、このように緩やかな勾配になって一息つける。それにしても、この周りの景色はどうだろう。ここをのんびりと散歩したら気持ちいいだろうなぁと思わせてくれるような、穏やかな小径の様相を見せる県道だが、忘れてはいけない。ここは山のど真ん中。平時でもプーさんに注意が必要だ。
とは言うものの…周りは杉林じゃなくて広葉樹の林が続く、これが美しい里道の風景と感じ入ってしまった。

ひゃ~高けぇなぁ…

右背向屈曲(早い話が右つづら折り)を進む途中で笹が生えている右側の路肩の下を覗くと御覧の通り。元来、私は高いところは得意ではない。こういう高いところに出くわした際に、私のように高いところが苦手な方は股がすぅすぅ~とする方と、お尻がもぞもぞする方と二通りいるという話を聞いたことはないだろうか?。私は後者で、非常に落ち着かなくなってその場を離れるタイプだ。・・・そんなことはどうでもいい(←始めたのはお前だ(^^;)。
ここから滑って落ちたら…途中に留まるものがないので、少なくとも下に見える茂みの中まで一直線に行ってしまいそうだ。この道は夜間通行止めなどではもちろんないので、ガードレールもないこの区間を夜間に走ると相当怖いだろうなと想像してしまった。早々に退散することにしよう。

右側にほんの少しの待避所らしき広場が造成されている。こんな山の中では、このような待避所を作るだけでも土工して擁壁作って…と大変だっただろう。こうした何気ない山道でも、一見して普通にありそうな待避所でも、前後の線形を見ればそれが自然のものを転用して作ったものか、新たに造成したものかわかる…と、そんなことを考えていると、そういえば…とふと思いついたことがあったのを思い出した。
この道にはいわゆる「馬頭観音」とか「お地蔵様」などの類が、ここまでは一切ない(お地蔵さまは駒込集落の道沿いにあったが)。ということは、この道は数多くの旅人が行き来した、いわゆる「明治車道」ではなく、その後に造成されたものと言うことになるのだが…明治車道ではないか?と言う部分を少しだけ期待していただけに残念!。

気を取り直して先へ進むと、一部の路肩にガードレールが設置されている区間があった。勘のいい読者の方なら既におわかりと思うが、これは「滑った跡」だ。右の山側の斜面が崩れたか、路盤そのものが崩落したかどちらかだろうと思いながら辺りを見回してみると山側の斜面には崩れた跡はなく、左の路肩側だけ木々や草の生え方が一部無くなっているので、大雨か何かで路盤が崩れてしまったものと思われる。そういえば、舗装もガードレールがある区間だけ新しい気がする。

先へ進むと、このような十字路に出た。私は県道上に立っていて、正面が私が進むべき道だ。そこを直角に交差しているのは、おそらく林道だろう。山中でしかも峠に近いところでキッチリと十字に交差している交差点は、そうそう見ないので、しばらく辺りを動き回ってみることにした。…と、画像にも写り込んでいるが、左側の林道上に青看があって、何かを伝えてくれている。早速確認すると…



交差点の真ん中に立って、青看の方を見てみる。なかなか立派な青看で、本来なら県道上に設置されていた方がいいんじゃないかと思ったりもする。道幅もここだけ見れば林道の方が対面通行できる広めの道幅で、もしかすると林道の方が交通量が多かったりして、などと意地悪な考えが頭をよぎってニヤついてしまったのはナイショだ(笑)
チェンジ後の画像は、その青看板を拡大してみたものだ。どうやらこの林道は「馬場元町線」と言うようで、平成の大合併以前の自治体の名前が記載されていた。そこには下田村、栄町、見附市とあるが、左右の矢印の下に小さく(県道)と表示してある。それがこの県道の立場の弱さを物語っているようで、辺りに誰もいない山中の十字路の中心で、一人ニヤニヤしてしまった(笑)。


いかん、ニヤニヤが止まらん(笑)
この先がもっと楽しみなこの県道、この交差点をひとしきり探索した後は北潟方面に向かって降りていくが、それがどんな道なのか。じっくりと味わって(笑)行くことにしよう。

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