新潟県一般県道546号
駒込北潟線
 第10部

2019年9月18日 探索・2020年11月10日 公開

通行止めの看板が立っているところを、少し離れた位置から撮影してみた。ここは看板の通り大雨の時に通行止めになるが、その他にも山岳路線であるが故に冬季通行止めになるはずで、その通行止め地点がここだろう。今はA型バリケードが横に寄せられているが、いざと言う時にはこのバリケードが道を封鎖する。でも…のどかだ(笑)。

バリケードで封鎖される地点を過ぎると、道は北潟の集落に入っていく。でも、その道幅は相変わらず狭く、一見するとただの市道か町道に思えてしまう、実に楽しい道ではないか。また、集落に近づくにつれて道の脇に水路が寄り添って走っているのも、こういった道のお約束。私が小さい頃に住んでいた家の脇に、こういう水路があったのを思い出して、懐かしい思いになった。

なかなか狭い道だが、北潟の集落を目指して走る県道。この後、この546号は北潟の集落を通過して、最終的に新潟県一般県道107号帯織停車場大面線の大面交差点で終点を迎える。
この険道(県道)を通っての感想は、一言で言って「実にもったいない」と言う感想だ。特に稜線の上を走る県道はほとんどないのではないか。それだけに非常に景色がよく、少し整備すれば観光スポットにでもなりそうな気がする。冬季には通行止めになるが、それを差し引いても検討の余地はあると思うのだが。

ここからは、机上調査編だ。ここではこの県道と、麓の「大面」にあった油田も併せて調べてみた。

この駒込北潟線の北潟側に、大面油田(おおもゆでん)と言う油田があった。これは新潟県南蒲原郡栄村(現・新潟県三条市。栄村より以前の自治体は南蒲原郡大面村)北潟にあった油田で、1916年(大正5年)から1963年(昭和38年)まで石油の採掘が行われた。
この大面油田のあった北潟と言う集落は、地理的には長岡市南方から三条市にかけて発達した東山丘陵の谷あいにある。東山丘陵の端っこと言ってもいいかもしれない。この北潟で、江戸時代の文政年間(1818年~1829年)に島影新右衛門という者が桑畑を開墾中に、地面から原油がしみ出しているのを偶然発見し、それを布に浸して持ち帰り、灯火の芯にしたという記録が残っている。また、この北潟から山伝いの如法寺村(現・三条市)と言うところで見られた「地中の火」「燃える風」という現象(いずれも天然ガスの自然発火と思われる)は、古くから「越後七不思議」の一つに数えられていた。余談だが、これと似たような話で西山油田になるが、新潟県一般県道393号の沖見峠の「献上場(こんじょうば)」に見られた「燃える水」と似たような印象を感じたのは気のせいか。

さて、この大面油田は1916年(大正5年)、東山油田の浦瀬や比礼の油田を開発していた日本石油により採掘が始まり、最盛期には1日にドラム缶300本分の石油が噴出した。勢いよく噴出した石油は付近の山や小川はもちろん田畑にも降りかかり、子どもたちがその石油を桶に汲んで、石油会社に売りに走る姿が見られたという。会社は石油の収入で潤ったものの、その一方で田畑の作物への補償話も大変だったとあり、その原油の搬出のため国鉄信越本線帯織駅から北潟まで専用線が引かれたりして、北潟の集落は石油ブームに沸き返ったそうだ。

この大面油田は1930年(昭和5年)には最盛期を迎え、北潟の集落の谷間には石油会社の社屋や鉱夫小屋、商店や旅館などが建ち並び、大いに繁昌した。大面村(現・三条市)吉野屋(ここは旭隧道の起点の集落である)から本成寺村(現・三条市)如法寺にかけても油井が建ち並び、信越本線の車窓からは油井から燃えさかる炎が眺められるほどだったという。しかし太平洋戦争後には石油の産出量は減少し、安価で質のよい外国産の石油が輸入され始めたこともあって、大面油田の経営は下火になってしまう。そんな中、大面油田がある新潟県南蒲原郡大面村と、その隣の福島村は1956年(昭和31年)9月30日に合併。新潟県南蒲原郡栄村が誕生したのち、1963年(昭和38年)に大面油田は閉山することになる。

現在、北潟から吉野屋にかけての山中に油井の跡が残っているそうで、これらの油井は完全に埋め戻されていないため転落の危険があり、この付近の山中は立入禁止となっている(これは大面油田に限らず、周辺の他の油田でも同じことが言える)。北潟地区の雑木林から流れる小川や排水溝には、今でも原油がしみ出している場所も見られる。

大面油田が閉山したのち、もう一つの産業である林業の開発を目的に、1971年(昭和46年)から5年の月日を費やして一本の林道が1975年(昭和50年)11月13日に完成を迎える。この林道の名前は「林道一ノ坂線(峰越林道)」と言い、北潟から下田村駒込に通じる延長3441m、平均幅員3.6メートル、総事業費は4775万円の費用を投入した、栄村林業史上最大の費用を費やした事業であった。この林道の開通によって自動車による木材搬出が可能になり能率化が著しく増大することが予想され、これからの栄村の林業振興にも一大役割が期待された。
また、この道は栄村・下田村・見附市の境界付近の頂点を通過していることもあって、新潟平野や下田盆地が足元に拓け、弥彦山や守門岳も望むことが出来、晴れた日には日本海の先に佐渡の山々も垣間見ることが出来る優れた展望地であって、観光にも一役期待される絶好の道でもあった。

この林道一ノ坂線(峰越林道)が1978年(昭和53年)に県道に昇格、546号の路線番号が付与されることになる。そう、これが現在の新潟県一般県道546号駒込北潟線なのだ。
資料として読み漁った栄村誌に、開通当時の駒込北潟線を撮影した画像が残っていた。
それをご覧頂いて、終わりとしたい。

栄村誌下巻より引用。転載厳禁。

さほど広くない、施工されたばかりの砂利道。
今では舗装され、周りの風景も変わったが、
それでもその道は今も山越えの路として
駒込と北潟の二つの地区を結んでいる。

新潟県一般県道546号
駒込北潟線

完結。